今日のみ言葉【No.2535】(2021年 5月14日)「そのくつのひもを解く値うちもない私」
わたしは水でおまえたちにバプテスマを授けるが、わたしよりも力のあるかたが、おいでになる。わたしには、そのくつのひもを解く値うちもない。
(ルカ3:16)
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聖書時代の人々がある先生(ラビ)の弟子になりたい時、
「あなたの弟子にして下さい」
という言い方はしませんでした。
決まり文句があったのです。
それは、
「どこにお泊りなのですか」
です。
弟子になるとは、先生と寝食を共にし、生活全体で学ぶことだったからです。
そのラビが、
「来なさい」
と言ったら受け入れてもらえたということになります。
反対に弟子入りを断る時の決まり文句は、
「あなたは私と何の係わりがありますか」
です。
「あれ、どこかで聞いたフレーズだな」と思った人は、ヨハネによる福音書1〜2章を探して下さい。
聖書理解が一段深まります。
今日の聖句のバプテスマのヨハネの言葉にも深い意味があります。
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さて、弟子入りした者は日本的に言えば「修行」に励みます。
先生の言うことは全て聞いて実行しなければなりません。
しかし、何でも加減というものがあります。
3世紀中葉のラビ・ヨシュア・ベン・レビの言葉にそれが残されています。
「奴隷が主人になすあらゆる奉仕を、弟子はその師になすが、ただし、そのくつを解くことは除く」
(『新聖書注解新約1』、いのちのことば社、P333)
弟子はどんなことでもしなければなりませんが、些細なことはしなくてもよいことになっていました。
その代表例が、靴の紐を解くことだったのです。
ところが、バプテスマのヨハネは来たるべきメシアを紹介する時に、
「わたしには、そのくつのひもを解く値うちもない」
(ルカ3:16)
と言っています。
何でもしなくてはいけない弟子であっても、靴の紐を解くことは免除されている。
それくらい小さなことでありながら、自分はそれにすら値しない者である。
彼は自分とメシアとの位置関係を明白に心得ていました。
バプテスマのヨハネは自らを低くすることにより、救い主キリストの高貴さ、尊さ、その偉大さを表現したのです。
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私たちはバプテスマのヨハネにならって、自分とイエス・キリストとの位置関係をあらためて見直すと良いのです。
求道者時代に神様と縁遠い生活をしていた私は、キリストが私のレベルまで降りてきて下さり、友として身近にいてくださることが福音となりました。
しかし、本来のイエス様の位置からしたら私など「そのくつのひもを解く値うちもない」はずなのです。
そうでありながら、イエス様の方から
「わたしはあなたがたを友と呼んだ」
(ヨハネ15:15)
として下さっているので、私たちは安心して「いつくしみ深き友なるイエスは」と讃美していられるのです。
私たちの方からイエス様を「友よ」と呼ぶのではなく、救い主イエス様の方から私たちを「友よ」と呼んでくださるので、同じ立ち位置にいることができます。
その時には「ありがたい」と思うべきなのです。
この位置関係が正しいものとされると、祈りの生活や聖書理解が徐々に納得できるものになっていくことでしょう。
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安心して「そのくつのひもを解く値うちもない私」を生きて参りましょう。
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