今日のみ言葉(2012年 4月23日)【No.292】
わたしにつながっていなさい。
(ヨハネ15:4)
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ヨハネ15章では、イエス様がぶどうの木、人間はその先の実を結ぶ枝、父なる神様が手入れをなさる農夫としてのたとえ話で始まります。
イエス様が
「わたしにつながっていなさい。」
とおっしゃるのは、
「枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができない」
からです。
キリストの十字架で罪赦され、きよめられたことを信じ、神の命が私たちの内に注がれていることを信じて生きることが繋がっている生き方です。
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ぶどう園の農夫はきっと枝のために消毒したり、肥料をやったり、枝が喜ぶようなことをするでしょう。
ところが、繋がって実を結ぶ生き方を選択したのだから、枝は伸び放題かというと、そうではないことが記されています。
「わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。」
(ヨハネ15:2)
つながっている枝は剪定(せんてい)されるのです。
つまり、良い実を結ばせるために、ある枝は切られます。
あなた自身がバッサリ神様から切られるのではなく、あなたの中のある部分に剪定のハサミが入れられるのです。
神を信じて生きるなかで、時に痛い思いをし、自分にとって価値あるものを失わなければならない体験をするのは、この神の剪定なのでしょう。
しかしそれは、もっと豊かに実らせるために行われているのだということを覚えましょう。
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リンゴ農家の方は、1個の素晴らしい「ふじ」を実らせるために他を剪定します。
リンゴの皮に色むらが出来ないように、日に何度かリンゴの陽の当たる向きを変える作業をします。
日当たりが良くなるようにと、地面にアルミのパネルを敷いたりもします。
リンゴにとっては、切られたり、クルクル回されたり、まぶしすぎたりという思いをするのかもしれません。
しかし、やがて芸術作品のような「ふじ」として収穫の時を迎えるのです。
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実を結ぶための試練に立ち向かって参りましょう。
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