今日のみ言葉(2012年 4月11日)【No.282】
イエスは彼に言われた、「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」。
(ヨハネ5:8)
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今日の聖句は、38年間病気の人が癒された個所です。
彼はベテスダの池のほとりで横になっていました。水が動いた時に真っ先に池に入ったものは癒されるという言い伝えを信じていたからです。
しかし、彼はいつも遅れるので、いつしか治る希望を失い、ただ惰性でそこにいたのかもしれません。
スッパリそこにいることをあきらめて他の生き方を探すでもなく、現在の状況で最善を尽くそうというチャレンジ精神もありません。
形だけは治りたい人を装いながら、内心は「無理だ」という思いが心を占めていたのです。
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その男にイエス様は核心的な質問をなされました。
「なおりたいのか」
彼の返答は言い訳です。
「主よ、水が動く時に、わたしを池の中に入れてくれる人がいません。わたしがはいりかけると、ほかの人が先に降りて行くのです」
こういう状況だから無理だ、私に責任はない、どうしようもない、という論法です。
人は病気になれば必ず治りたいものだ、とは限りません。
治りたくない人もいるのです。
また、治るはずがないという非常に強い思いを持たざるを得ない人生を送ってこられた方もいらっしゃいます。
人間の思いとは本当に複雑です。
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イエス様の質問は、彼の本当の姿が明らかにしました。
そして彼の考え方が、彼を病気のままにしていたことが明らかになったのです。
今日の聖句の、
「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」
という言葉は非常に強い命令口調です。
これによって彼の思いは全く入れ替えられてしまいました。
彼の思いが病気を作り出し、それが彼の本当の「罪」だとイエス様は明快に指摘されました
「ごらん、あなたはよくなった。もう罪を犯してはいけない。何かもっと悪いことが、あなたの身に起るかも知れないから」(14節)。
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もちろん、全ての病が癒され、人間は不老不死の人生を送ることができる…、ということではありません。それは明らかにキリスト教的ではありません。
今日の聖句で大事なことは、私たちの心の内の考えを変える、ということです。
どうせ無理だ、と思っている考えが99%であったとしても、神はからし種一粒の信仰を通して働かれます。
癒されるという思いが1%もなければ、この男はベテスダの池にはいなかったでしょう。
イエス様は彼のからし種程の思いに目を留められたのです。
99%濡れていて1%だけかろうじて火がある状態では、ブスブスとくすぶっているものです。
あなたはくすぶっていませんか?
毎日ああでもないこうでもないと愚痴を吐きながらくすぶってはいないでしょうか?
イエス様はあなたの1%の残り火に目を留め、
「なおりたいのか」
と尋ねられます。
「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」
という御言葉を聞くのは、今日のあなたかもしれません。
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神の励ましに耳を澄まして参りましょう。
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