今日のみ言葉【No.2421】(2020年12月 4日)「十字架を負う者(3)」
そこを通りかかった者たちは、頭を振りながら、イエスをののしって言った
(マルコ15:29)
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謝罪会見なるものが開かれるとなると、マスコミ側の質問者は、これでもかと言わんばかりに鋭い質問を浴びせかけます。
あちら側が「自分は悪い」と認めているのですから、こちら側が悪いはずはなく、正義の側にいることになります。
「自分は善で相手は悪」という構図が明確だと、人は言いたいことを言うようです。
イエス様の十字架の周りの人々も同じで、自分は正しいことをしていると信じる彼らは、キリストを嘲弄したと書かれてあります。
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十字架のそばで、様々な人たちがイエス様をののしり、嘲笑しました。
群衆
「ああ、神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者よ、十字架からおりてきて自分を救え」
(マルコ15:29-30)
祭司長・律法学者
「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。イスラエルの王キリスト、いま十字架からおりてみるがよい。それを見たら信じよう」
(マルコ15:31-32)
さらに、イエス様の右と左に一緒に十字架につけられた罪人たちも、「イエスをののしった」と記されています。
これはイザヤ書の預言の成就です。
「彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった」
(イザヤ53:3)
人々の嘲笑に対して、イエス様は何も言われませんでした。
「彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった」
(イザヤ53:7)
ゲツセマネの園での逮捕後の深夜の非公式裁判 → 夜明け直後の早朝の裁判 → 判決 → 朝9時の刑の執行となるのですから、いかに裁判がいい加減で、最初から「イエスを有罪とする」という筋書きがあったことがわかります。
これに対してもイザヤは預言しています。
「彼は暴虐なさばきによって取り去られた。その代の人のうち、だれが思ったであろうか、彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだと」
(イザヤ53:8)
イエス様は神の子でしたから、十字架から降りる力を持っておられました。
しかし、どんなに侮辱されてもそこから降りなかったのは、あざ笑っている者も含めて、私たちの救いのためです。
「われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた」
(イザヤ53:6)
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人が十字架の前で示す反応は主に3つに分かれます。
十字架をあざ笑う人、自分とは無関係だと切り捨てる人、そしてクレネ人シモンのように十字架を負う人です。
そして世の中を注意深く見ていると、この世の救いは十字架の重荷を負う人たちによってもたらされているのが見えてきます。
敵軍の兵士をも看護したナイチンゲールしかり、貧しいインドの民のために人生を献げたマザー・テレサしかりです。
一方、人間の努力のみでこの世に神の国のような理想的環境を築こうとすると、積み木崩しに終ります。
頼りになるはずの人が足を引っ張り、あてが外れ、積んでは崩し、崩しては積むという事例はこの世をざっと見ればすぐ探し出せます。
クレネ人シモンは十字架を無理やり負わされましたが、それによってイエス様の十字架の贖いが成されました。
彼と同じように、信仰によって十字架の重荷を負わされた人がいます。
一見損をしたように思えますが、実は神はその人が負う十字架を足場として、この世に神の国をもたらされるのです。
神は、生まれつきの品性の良し悪しや能力の有無とは別に、イエスを救い主と信ずる者に聖霊を与え、神の国の足場を築かれます。
神を信じる者には神の国の生命が与えられ、神はそれを基礎として神の国をこの世に完成させようとしておられるのです。
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あなた負っている十字架とは何でしょう?
それはあなたにとっては重荷ですが、実はそこから神の国のかぐわしい香りが放たれ、人々はこの世とは別の世界があることを知るのです。
イエス様の十字架を心にとめる今日として参りましょう。
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