今日のみ言葉【No.2414】(2020年11月26日)「キリスト教イロハ(115)『信仰生活(3)』【聖書を読む】」

わたしはみ言葉を与えられて、それを食べました。み言葉は、わたしに喜びとなり、心の楽しみとなりました。
(エレミヤ15:16)

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日本全国にコンビニは約5万6千店舗あると言われています(2020年現在)。

ちなみに、文化庁が毎年実施している「宗教統計調査」(2016年)によると、全国の神社数は8万1158社、寺院は7万7256寺ですから、神社仏閣はコンビニ以上に近くにある存在です。

だからと言って、日本人の多くが仏典・経典を手にして読んでいるかというと、そんなことはありません。

しかし、クリスチャンであれば各自は必ず聖書を所有し、読んでいます。

キリスト教の信仰生活においては、聖書通読は必要不可欠の習慣となっているのです。

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聖書はキリスト教の信仰と生活の規範となる書です。

聖書には世界と人間に対する神の意志が書かれてあり、神の言であると信じているのがクリスチャンです。

従って、キリスト信者であるなら、神の御心を知ろうとして聖書を読むのは当然のこととなります。

聖書を熱心に読むことは、信仰生活の柱としてとても大切なことです。

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ところが、聖書に書かれている内容は現代を生きる私たちからすればあまりにも時間的に離れています。

イエス様の時代で2000年前、ダビデの時代で3000年前です。

また、中東のイスラエルと極東の日本では地理的に距離があり、文化的にも異なる点が多く、ちょっと読んだだけではわからない点が多くあるのは当然です。

そこで、教会では、礼拝において聖書からのメッセージが語られ、また、聖書を勉強する各集会があります。

聖書を一緒に勉強し合ったり、専門家の指導を受けることは大いに有益です。

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では、聖書を一人で読むことには何の意味もないかというと、そんなことはありません。

わからない部分もありますが、わかる部分もあります。

なぜなら、聖書は高邁な理論理屈が書かれているのではなく、実際に地上を生きた人々の生活の中で記されてきたものだからです。

つまり、人間として生きる時に体験する共通部分が必ずあるということです。

神はそこを使われ、私たちの理解のために聖霊の光を当ててくださいます。

ですから、わかったところを大切にし、わからない部分は後のために取っておく読み方をすれば良いのです。

そのようにして聖霊の導きに従い、御心として示されたことを自分の生活の中で実行するように心がけて読むのが、聖書の模範的読み方です。

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エレミヤは

「わたしはみ言葉を与えられて、それを食べました」
(エレミヤ15:16)

と言いました。

それと同じく、私たちも、今日、聖書を霊の糧としていただいて参りましょう。

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