今日のみ言葉【No.2405】(2020年11月14日)「神の可能思考」
「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである」
(マルコ10:27)
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世の中には2種類の人間しかいません。
できると考える可能思考者と、できないと考える不可能思考者です。
できると考える人は「どうやったらできるか」とその方法を考え、出来ないと考える人は「なぜ出来ないのか」という理由を考えることに脳を使います。
同じ脳細胞を使っているのですが、使う方向がまったく違います。
神は何でもできる御方ですから、神を信じる者は基本的に可能思考者として生きる時、神と歩調を合わせて生きることができます。
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ただし人間は罪人ですから、最初はどうしても聖書の言葉を自分中心に読み込みます。
今日の聖句の
「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである」
(マルコ10:27)
でもそうです。
「この神の力をいただいて、私の願いをかなえてもらおう」
となったら正しい道からそれているということです。
それはアラビアンナイトのお話に出てくる魔法使いを自分のしもべとして使うようなものだからです。
この御言葉単独ではなく、書かれている文脈をたどって理解しなくてはなりません。
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ここでは弟子たちの驚きと戸惑いが先に記されています。
イエス様がこう言われたからです。
「財産のある者が神の国にはいるのは、なんとむずかしいことであろう」
(マルコ10:23)
その当時、神に祝福されていることの証明は、経済的な豊かさ、つまりお金持ちであることだと考えられていました。
ですから、弟子たちからすれば、
「あんなに神に祝福されているように見える人が神の国に入れないのか…」
と感じられ、イエス様のこの言葉は救いの道を閉ざすような衝撃となって伝わったのです。
当然、
「それでは、だれが救われることができるのだろう」
(マルコ10:26)
となって口から疑問が出てきます。
罪人なる人間が神の国に入ることは難しいのです。
しかし、その不可能を可能に変えることのできる神の働きがあることをイエス様は力強く宣言されました。
それが
「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである」
(マルコ10:27)
という御言葉です。
神の子の命という莫大な犠牲が支払われれば、それは可能となるのです。
この神の可能思考に人間が参与する時、不可能と見えることにチャレンジする心が与えられ、その道を歩む時の労苦と困難に忍耐する力が与えられるのです。
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現在の米沢興譲教会の会堂を建設する時に私たちはそのことを体験しました。
神の御心は魂が救われることであり、より多くの人々が神の国に入り、聖なる民に加えられることです。
では、御心ならば神の力によってスムーズに事が運ぶかと言うと、現実はそうではありません。
何度も「もう無理か…」と思うようなところを体験させられました。
しかし、
「伝道が難しいこの東北の地で、一千人の礼拝ができる教会が生まれれば、それは大きなインパクトとなり、励ましとなるに違いない」
と考え、霊的救いのビジョンに燃え、教会員が一丸となって、
「神のなされることに不可能はない」
と祈り続けていきました。
そして、土地が与えられ、自主的な献金が寄せられ、多くの人の犠牲の上に、今の会堂が建てられたのです。
私たちは胸を張って言うことが出来ます。
「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである」
(マルコ10:27)
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神にあってできるのです。
この神に信頼を寄せ、御心の道を今日も歩めると信じて進んで参りましょう。
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