今日のみ言葉(2011年6月19日)【No.91】
「またこの全会衆も、主は救を施すのに、つるぎとやりを用いられないことを知るであろ
う。この戦いは主の戦いであって、主がわれわれの手におまえたちを渡されるからであ
る。」
(サムエル記上17:47)
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今日の聖句は少年ダビデが敵の巨人ゴリアテと対戦するところです。
体格や戦闘経験の面で圧倒的有利に立つゴリアテ。しかしダビデの背後には神がおられま
した。
この戦いは主の戦いである、という意識を持つか否かが勝敗の分かれ目となりました。
主の戦いと信じて疑わないダビデは、石つぶての一撃に絶対の自信を込めました。
ダビデと共におられる神と戦うということを見落とし、油断したゴリアテは、眉間の急所
を石で打たれ、命を落としたのです。
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この個所から私たちは何を学ぶのでしょうか?
主の戦いでは、まず(1)相手を変えようとしないこと。そして、(2)自分に与えられ
たわざを全力でやること。この2つに尽きます。
(1)相手を変えようとしないとは、相手にダメージを与えようとか、悔い改めの心を起
こさせようとか、何とかして相手の力を削ごうとする努力をやめることです。
なぜ相手を弱らせようとするかというと、今のままでは自分は相手に勝てないと考えてい
るからです。
主の戦いではただの一撃で勝負がつきます。
今のままで十分です。相手を変えようと努力してこちら側が消耗してしまっては元も子も
ありません。
(2)自分に与えられたわざを全力でやるとは、神から与えられた力をフルに発揮するこ
とです。
相手を見ると不安になります。しかし自分のやるべきことを次々と全力を注いでやれば、
周囲を気にする暇がなくなります。
そして、力を一点に集中するのです。
太陽の光を虫眼鏡で一点に集めると、その焦点は高温になり、紙に火がつきます。
一つに集中することです。
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キリスト教と似て非なる宗教を異端と言います。特徴はいずれも自分たちの教義を伝える
ことに熱心なことです。
Aさんは主婦で、この方々が何度も訪問に来ることに閉口していました。時間が取られる
し、自分の知識不足で何度も言いくるめられそうになっていたからです。
しかし無視したり、居留守を使うことは嘘をついているようでできません。
今日も来られたその人の話を聞いている内に、Aさんは聖霊様に示された一つのフレーズ
を尋ねてみようと思いつきました。
「あなたはどのくらい祈っていますか?」
その人は、「えっ?」という顔をしましたが、「それは時間のことですか、量のことです
か?」ときいてきました。
Aさんはひるまず、
「時間でも量でも構いません。あなたは一日にどのくらい祈っていますか?」
と尋ね返しました。クリスチャンの命は祈りにかかっている、と普段から思っていたから
です。
不思議なことに、その人はそのまま帰ってしまい、二度と来ることはありませんでした。
Aさんは主が戦って下さったことに感謝の祈りを捧げ、また、その方のこれからの祝福の
ために執り成しの祈りを捧げました。
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主が私たちのために戦われます。自分のやるべきことを精一杯努めさせていただきましょ
う。
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