今日のみ言葉【No.2229】(2020年 3月25日)「理不尽な死を乗り越えさせる希望」
「わたしの父のみこころは、子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。そして、わたしはその人々を終りの日によみがえらせるであろう」
(ヨハネ6:40)
——————
新型コロナウイルスによって亡くなられる方がイタリアで大変多くなっています。
患者の臨終に立ち会う聖職者たちも例外ではなく、治療中に感染して死亡した医師の数を上回る人数が報告されています。
(https://www.afpbb.com/articles/-/3274860)
ウイルスにとっては、その人が良い人か悪い人か、信仰が厚いか薄いか、一切関係がありません。
人は寿命が来たその時に死ぬのです。
この世ではそれで終わりですが、聖書が明らかにしているのは、その死の向こう側に永遠の世界があるということです。
ここにこの世の理不尽な死を乗り越えさせる希望があります。
-*-*-*-*-*-*-
人は皆死にます。
それは仏教徒だろうが、イスラム教徒だろうが、キリスト教徒だろうが、無宗教者であろうが、関係ありません。
死は人類共通であり、植物・動物、全生物を見回しても不死の存在は無いのです。
クリスチャンも一度そこを通らされますが、神様はイエス様を通してその先にある御計画を明らかにしておられます。
それは、キリストを信じる者を終りの日によみがえらせることです。
「わたしの父のみこころは、子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。そして、わたしはその人々を終りの日によみがえらせるであろう」
(ヨハネ6:40)
イエス・キリストを神の御子と信じ、この御方が私の罪の身代わりになって十字架につき、その死によって私の罪の代価が全て支払われたのだと信じる者を「救いにあずかった人」と言います。
その人には信じた瞬間から永遠の命の約束が保証されます。
やがて肉体の死を迎えますが、神が定めた時に復活し、永遠の世界を神と共に祝福されて生きるのです。
ただし、信じた瞬間に細胞が変化するとか、遺伝子に新たな配列が書き込まれるとかという映画まがいのことが起きるわけではありません。
クリスチャンの肉体は信じる前と同じです。
しかし、魂の状態は変化し、徐々に神に近いものになっていき、死に対する恐怖は薄らいでいきます。
たとえ死んでも復活があるという永遠の命の希望に支えられ、死を受容できるようになるからです。
永遠の命の希望をこの世で持って生きていられるとは何と幸いなことでしょう。
-*-*-*-*-*-*-
私たちの前に「当然の死」はありません。
死はすべて理不尽なのです。
しかし、それを乗り越えさせ、前に向かわせる力があります。
それがキリストがその命をかけて人類に提供された復活の希望です。
ここに人生の足場を置き、グイと踏みしめながら人生の坂道を歩こうではありませんか。
それが死を乗り越えて歩むキリストと共なる人生なのです。
-*-*-*-*-*-*-
-*-*-*-*-*-*-
□ ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ □
■メールマガジン「今日のみ言葉」
■発行責任者:山形ジョイフルチャーチ 丸山芳浩
■ご意見ご感想は、maruyama@mikotoba.orgまでどうぞ
■Webサイト https://mikotoba.org
■御言葉メールの申込、停止は全て自動でなされます。下記メールアドレスに件名も本文も無い空メールを送信して下さい。
・御言葉メールをお申し込みになりたい方は
→ reg@mikotoba.org
(仮登録メールが送られますので、その中のリンクをクリックして本登録となります)
・御言葉メールを停止したい方は
→ del@mikotoba.org
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません