今日のみ言葉(2011年8月26日)【No.156】
「われらに助けを与えて、あだにむかわせてください。人の助けはむなしいからです。」
(詩篇108:12)
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人の助けはむなしい、とは、「人なんかあてになるもんですか!」という虚無的な考えで
はありません。
どんなに助けようという思いがあっても、人間の力には限界があるのです。
また、自立の力がある人に先に援助を与えてしまうと、返って災いになることがあります。
神に助けを求め、自立して生きることが神の御心です。
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信仰の自立とは、「疑わないように」「強く信じ抜く」ということばかりではありません。
しばしばそのような思いには我力の強さが混じっています。
我力で信仰を動かそうとすると、自分の努力を認めてもらいたくなるものです。
抑えようと思ってもダメです。どこかで表面に出てきます。
特に、自分の生き方とは逆の人、つまり、
「疑ってばかりで気持ちも信仰もフラフラと定まらない人」
「信じます、と言ったその直後に、やっぱりダメだ〜、と弱音を吐く人」
を見ると、怒りが湧くのです。
思わず、
「私だってねー、そういう気持ちと戦っているのですよ。でも、そんなことじゃダメなん
ですよ。」
「私も頑張っているのですから、あなたも少しは努力する気持ちを見せて下さい。」
と、相手を包むどころか、結局こちらの言うことを聞け、というふうに、無意識に受容さ
せてしまうのです。
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自立した信仰者は、神に自分の無力さを告げ、自分がどのように力が無いのかをサラリと
告げています。
「できないなあ」
「手が及ばないなあ」
と感じる時がチャンスです。
その思いは、神が私たちの心のドアをノックしている音です。
「今祈れ」
と神は語っておられるのです。
そして、
「あなたに話すことを用意しているよ」
と神は備えておられるのです。
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神はあなたにお話ししようとしておられます。自分の無力さを素直に祈りましょう。
そして、心の耳を澄ませて、神の声を聞いて参りましょう。
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