今日のみ言葉【No.1810】(2018年 7月25日)「 神の祝福を受けるための訓練『しもべとなる』(3)」

おのれを撃つ者にほおを向け、満ち足りるまでに、はずかしめを受けよ。主はとこしえにこのような人を捨てられないからである。
(哀歌3:30-31)

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小学生の子供たちから

「ピザって10回言って」

とせがまれます。そこで、その通りに

「ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ」

と言うと、

「ここ、なんて言う?」

と、肘(ひじ)の部分を指さします。

ついさっきまで連続10回「ピザ」と言っていた口だったので

「膝(ひざ)!」

と言ってしまいます。

子供たちは、してやったりとばかりに

「バッカだな〜。ここは肘!」

とゲラゲラ笑いだします。

「引っかかったー!ヤッター!」

と彼らが叫ぶその横で、

「やられた〜。膝じゃなくて肘か!」

と言うのが、キリストの弟子学校しもべコースを履修する生徒の模範解答です。

自分を侮るその当人にお仕えすることがしもべの最上の仕事だからです。

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神の祝福を受けるためには「しもべ」となること。

そしてその「しもべ」となるためには、バカにされることが一番効果的です。

なぜならイエス・キリストご自身がその人生を歩まれたからです。

旧約聖書イザヤ書では「苦難のしもべ」としてこう預言されています。

「彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった」
(イザヤ53:3」

イエス様は預言された通りに嘲られ、もてあそばれ、虐待されたことが新約聖書に記されています。

「それから、彼らはイエスの顔につばきをかけて、こぶしで打ち、またある人は手のひらでたたいて言った、『キリストよ、言いあててみよ、打ったのはだれか』」
(マタイ26:67-68)

念の為申し上げておきますが、クリスチャンは誰でもこのような体験をするわけではありませんからご安心を。

通常は、キリストの弟子学校のしもべコースに履修届けを出した人だけです。

それでも、極めて浅いレベルで壁に突き当たり、キリストほどの深いレベルに到達することは稀です。

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バカにされるということは、人の傷を負うことです。

人は心に傷を負うと、何かを傷つけることによって癒されようとします。

最初は物に当たります。

手当り次第に物を投げつけ、壊し、壁を打ちたたいて穴を開けます。

しかし、命のない物は壊れる時に「音」を出しても「叫び」は出しません。

心の傷とは人格的な傷なので、痛いとか苦しいとかの人格的反応があって初めて癒されます。

そこで次に動物を虐待し出します。

やがてそれでも飽き足らず、もっと深い充足感を求めて、人間を傷つける「イジメ」に向かうことは想像に難くないでしょう。

頭で「イジメは悪いこと。してはいけない」と知識として入っている人は、他者を傷つける行為にはブレーキがかかります。

しかし、他者の代わりに自分を傷つけるリストカットや抜毛(ばつもう)等の自傷行為に走り、自分でもなぜやめられないのかわからない状況に陥ります。

ですから、人をバカにすることは一種の癒しの行為なのです。

かと言ってそれを正当化することはできません。

しかし、どこかで誰かがその心の痛みを負わなければ、この不幸な連鎖は止まりません。

イエス・キリストが鞭打たれ、侮られ、苦しみを受け、最後は十字架について死なれたのは、私たち人間の心の傷を癒し、罪なき真っ白の心にするためだったのです。

「彼はみずから懲しめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ」
(イザヤ53:5)

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私たち人間にはそれぞれの限界というものがありますから、全ての人の心の傷を代わりに受けることはできません。

しかし、出来る限り、自分の限界に肉薄したいものです。

まず、バカにされてもやり返さないこと。

「愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい」
(ローマ12:19)

次に、バカにした相手が神によって豊かに祝福されることを祈ること。

「あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福して、のろってはならない」
(ローマ12:14)

これだけでも実行するのには大変な労力と祈りを要します。

自分のペースで、神に祈りつつ、導きをいただいて進ませていただきましょう。

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しもべの人生を生きる人には、神からの報酬があります。

「おのれを撃つ者にほおを向け、満ち足りるまでに、はずかしめを受けよ。主はとこしえにこのような人を捨てられないからである」
(哀歌3:30-31)

神はその人を決して見放しません。

その約束をいただいて、今日も確かな人生の一歩を進めて参りましょう。

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