今日のみ言葉(2011年8月27日)【No.157】

「わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、
顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。し
かしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。

(第1コリント13:12)

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いくつもの病を持ち、何十年も病床にある岡井久子さんの詩集「ヨブの涙」の中に、
こんな一節があります。

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神様が私を創ったときに

神様はしまったと言われた

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詩の最後に、そうではなかった、と書かれてあります。

神の失敗作としか思えない病床の自分。

しかし、岡井さんは神の隠された宝に気づいたというのです。

神の愛にふれた時に、それははっきりと示されます。

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「神様からのげんこつ」

  岡井久子

息苦しい
口の中が生ぐさい
吐き気がする

一ヶ月程発作はなく
すごく気分よくすごしていたのに

ああ
私の負わされている
十字架の重さ

快調であったために
ふとわすれかけていた
十字架の重さ

その重さを思い出させるように
神様が下さった発作という

げんこつの痛さ
この痛み故に知った
キリストの愛

息苦しい
吐き気の中で
御名を呼びもとめていた

神様のげんこつって痛いな
聖旨をさとらず
自己本位にくらす
まるでなにもかも自分でいきているような

こうまんちきな私の頭に
一発くらったげんこつ

神様のげんこつって痛いな
でも一発くらった時

己の不信な行動に気づき
前よりなお強く聖名を呼び求める時

心は平安になり
神様のげんこつは恵みとなる

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今私たちが知るところは一部分です。全てを知っておられる神を信頼し、その手に導かれ
て歩んで参りましょう。

初期,御言葉

Posted by maruyama