今日のみ言葉(2011年10月15日)【No.169】
「その来る日には、だれが耐え得よう。そのあらわれる時には、だれが立ち得よう。彼は金をふきわける者の火のようであり、布さらしの灰汁のようである。」
(マラキ3:2)
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大震災のような大きな自然災害が起きたり、原発事故の危機的状況が明らかにされると、世の終わりが間近ではないかという不安がよぎります。
聖書は世の終わりがあることをきちんと語っています。それはキリストが再びこの世に来られる時です。これを再臨と言います。
再臨ではキリストは救い主ではなくこの世を審判する裁き主としてこられます。人に仕える僕(しもべ)としてでなく、王として来られるのです。
ですから、「その来る日には、だれが耐え得よう。」とある通りです。
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再臨のキリストは「金をふきわける者の火のようであり」というように、金を溶かし出す高温の火のような存在です。
そのような恐ろしい王であるにもかかわらず、聖書ではキリストの再臨を一貫して希望として語っています。
それは救いに預かったクリスチャンにとって、溶鉱炉から純金となって出てくる日だからです。
十字架の血によって罪が洗われた者にとって、終末や裁きは何の恐れにもなりません。むしろ喜びと希望の日なのです。
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神は今日もあなたを精錬されます。神のお取り扱いに心のアンテナを張りましょう。
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