今日のみ言葉(2012年 1月18日)【No.221】
「あなたがたに言っておく。宮よりも大いなる者がここにいる。」
(マタイ12:6)
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昨年イスラエルに行って一番感じたことは、嘆きの壁の存在感でした。
しかしそれは、イスラエル神殿の西側の壁の一部ですから、元々あった神殿はその何百倍もの大きさと重厚感を持ってそびえていたことでしょう。
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私たち日本人が抱く「宮」のイメージは、神社仏閣のような木でできた建物ですが、聖書で言う「宮」とは石が積まれ、組み合わされてで来た壮大な建築物です。
現代で言えば、東京都庁やスカイツリーのようなものを想像して下さい。
その「宮よりも大いなる者がここにいる。」とイエス様が語られたのですから、当時の人々から「大言壮語する者だ」として反感を買ったのも無理はありません。
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宮に代表される建築物は、人間の努力の結集です。一つ一つの石を苦労して積み上げていった末にできるものです。
イエス様が語られたのは、律法を努力して守ることによって人間は神の前に正しい者とされる、という世界は終わったということです。
人間の努力を否定するわけではありません。それは尊いことであり、無にして良いのではありません。
しかし、それよりも大いなる世界が始まった、古いものがひっくり返され、新しい世界が始まったということを強調しているのです。
つまり、真面目で熱心に生きると神様が喜ばれ、私たちに祝福がもたらされる、という考えはもう古いですよ、ということです。
古いどころか、その時代は終わり、かえって害になりやすいですよ、ということなのです。
宮よりも大いなる方が来られたこれからは、その方の御旨・御心を知っていくことが大事なのです。
それゆえ、マタイ12章では安息日に麦の穂を摘んで食べ、癒しが行われた記事があるのです。
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私は以前、ロックは悪魔の音楽だと思っていました。
ですから、中高生たちが「バンドをやりたい」と言って教会にエレキギターやベースやドラムを持ってきてガンガンやり出した時は、
「教会が悪魔の子らに乗っ取られた!」
と嘆いたものでした。
オルガンの伴奏で静かに讃美歌を歌うのが教会だと思っていたからです。
しかし、彼らがそのエネルギッシュな演奏でゴスペルソングを創り出し、歌い、賛美しているのを見て、
しぶしぶ、
「私は間違っていた」
「新しい時代が到来した」
と認めざるを得ませんでした。
パンクやメタルの見かけに左右され、真面目に見える人だけに救いの門を開けようとしていた私とは違い、神様はまず人を大事にされ、その人が生き生きと生きることをお望みなのです。
教会の維持のために人があるのではなく、人々が生き生きと生きるために教会があるのだと知った時でした。
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神の示す新しい価値観に目を開いて参りましょう。
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