今日のみ言葉【No.1729】(2018年 4月13日)「 聖霊のバプテスマ」

「わたしよりも力のあるかたが、あとからおいでになる。わたしはかがんで、そのくつのひもを解く値うちもない。わたしは水でバプテスマを授けたが、このかたは、聖霊によってバプテスマをお授けになるであろう」
(マルコ1:7-8)

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あるミッションスクールの名物教師の授業に「イナゴを食べる」時間がありました。

これはパワハラでもいじめでもなく、バプテスマのヨハネの体験学習として聖書学の授業の中に組み込まれています。

昔は貴重なカルシウム源として子供の頃においしくいただいた記憶がありますが、現代の中高生にとってイナゴを食べるとは、まるでゴキブリかセミを食べさせられるような感覚です。

卒業後、彼らは

「先生の授業で聖書の中身は頭に入らなかったけど、あのイナゴを食べたことだけは覚えています!」

と言ってやって来るそうです。

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さて、バプテスマのヨハネはイナゴを食べるために生まれたのではなく、古い時代が終わり、新しい時代が始まる前触れとしてこの世に生まれました。

つまり、救い主キリストを指し示すためにこの世に誕生し、信じるだけで救われる新しい時代が来たと人々に考えを変えさせ、思いを変えたしるしとして悔い改めのバプテスマを授けました。

21世紀の教会では、全身を水に浸す浸礼(しんれい)や、数滴の水をふりかける滴礼(てきれい)という形を取りますが、水そのものに力があるのではありません。

水による洗礼はいわば影であり、本体は聖霊のバプテスマ、つまり、聖霊に満たされることです。

水による洗礼は、かつて自分が神を信じた時の決心を思い起こさせます。

一方、聖霊のバプテスマは現在の自分に働きかけます。

私たちの中には、どうしてもかつての古い方向により戻される力が働きますが、その古い自分を死なせ、神の力を信じて新たに生きる自分へと生かして下さるのが聖霊なのです。

神の霊である聖霊は、イエス・キリストを救い主と信じた者の心の内に住んで下さいます。

天の父なる神様は私たちのうちに聖霊が満ちるようにと様々な手段を持って働きかけて下さるのです。

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A子さんの夫は自分が経営する会社の倒産と同時に失踪し、彼女が事後処理に当たらなければならなくなりました。

しかしA子さんは書類上の役員となっていただけで、経営には一切タッチしていません。

何が何だかわからない中を、ただ、「やるしかない」と心に決めて、あとは様々なことに翻弄されるしかありませんでした。

A子さんは毎日旧約聖書を5章、新約聖書を5章読み、心に光をいただいて、裁判所の法廷に立ち、会社の方々との話し合いに臨みました。

ある時は

「強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない」
(ヨシュア1:9)

の御言葉をいただき、自分でも不思議なくらい落ち着いて対応することができました。

また、抵当に入っていた自宅を手放さなければならなくなった時も

「わたしはこの地にあっては寄留者です」
(詩篇119:19)

の御言葉に支えられ、住み慣れた家から離れることができました。

経済的にゼロからのスタートとなったので、昼夜関係なく働き詰めの生活を送っていたら、突然身体が動かなくなり、しばらくの間入院となりました。

ベッドの上に固定され、ピクリとも動けない状態は最高の祈りの時間となりました。

「ああ、私は忙しくすることで現実から逃れ、仕事に打ち込んでいたんだなあ」

と祈りの中で聖霊によって示され、我力を捨てるようにと悔い改めに導かれました。

このことが転機となって、A子さんは以前からいただいていた再婚の話に耳を傾けるようになりました。

退院後、職場復帰してから、

「あなたは祝福の基となるであろう」
(創世記12:2)

の御言葉に支えられ、彼女は新たなパートナーとの新しい人生に踏み出していきました。

神はこのように御言葉を通し、祈りを通してA子さんを導き、その都度、聖霊に満たし、力を与えてくださったのです。

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神の霊である聖霊を受け入れ、聖霊に満たして下さろうとする父なる神の御心を歓迎しましょう。

聖霊に満たされた、力ある一日を送ることができますように…。

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