今日のみ言葉【No.1675】(2017年12月26日)「 苦難を喜ぶ」
その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起り、使徒以外の者はことごとく、ユダヤとサマリヤとの地方に散らされて行った。
(使徒8:1)
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「泣かぬなら殺してしまえホトトギス」
と詠むであろうと言われた織田信長は、有無を言わせず自分への対抗勢力を次々と打ち倒してきました。
仏寺の勢力を抑制しようとした比叡山の焼き討ちはその代表的例です。
逆にそのお陰でキリスト教の宣教師たちは厚遇されました。
京都に南蛮寺(なんばんじ)と呼ばれる礼拝堂が建設されたのはその時期です。
しかしまもなく、豊臣秀吉のバテレン追放令により迫害の時代がやってきます。
「この追放令の動機については,さまざまな説がありますが,一つには,キリシタン信者の団結が一向一揆と同様に専制権力にとって脅威となるために発せられたと言われており,これによって京都市中の宣教師は追放され,南蛮寺は破壊されました。」
(京都市歴史資料館より https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/bunka16.html)
キリスト教の歴史に迫害はつきものです。
初代教会も大規模な迫害にさらされ、信者たちは皆エルサレムから逃げ出さねばなりませんでした。
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イエス様はその迫害を事前に予告しておられました。
「人々に注意しなさい。彼らはあなたがたを衆議所に引き渡し、会堂でむち打つであろう。またあなたがたは、わたしのために長官たちや王たちの前に引き出されるであろう」
(マタイ10:17-18)
しかし、そこには神の目的があるとも述べておられます。
「それは、彼らと異邦人とに対してあかしをするためである」
(マタイ10:18)
歴史を見るとそのとおりになっています。
ペンテコステの日以来、爆発的に増えたクリスチャンたちたちに対して、権力者側・体制側につく人々が恐れを抱きます。
最初は懲らしめと脅し程度でしたが、そんなことでは収まらない勢いに、ついにステパノの捕縛と殉教の死という事態になります。
それを機に大迫害が起こりました。
「その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起り、使徒以外の者はことごとく、ユダヤとサマリヤとの地方に散らされて行った」
(使徒8:1)
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思いもよらない試練に出会うと、クリスチャンとて弱音が出ます。
「なぜこんなことが!」
「祈りはきかれないのか?」
「あぁ…、(ため息)」
何を隠そう、私の典型的3大反応です。
しかし私の家内は信仰が訓練されているので、私などとても及びもしない反応を見せます。
「祈っていたからこの程度で済んでいるのよ」
「神様は最善以外なさらないんでしょ」
「感謝します」
試練や苦難が降りかかってきたとき、素直にそれを喜ぶことなど人にはできません。
しかし、神様はこのことを通して大きな目的を達成されるのだと信仰の目を通して事態の推移を見ていくときに、神様が描く人生ドラマのあらすじが見通せるようになります。
すると、なぜその問題が起きたか理由はわからなくても、
「神の御手の中で動かされていけばよいのだ」
と、覚悟ができ、周囲の人々の言葉や動向に左右されないで達観していることができます。
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実際、
「使徒以外の者はことごとく、ユダヤとサマリヤとの地方に散らされて行った」
ということは良かったのです。
このことによってキリストの福音が散らされた人々によって広められ、ついには全世界に伝えられる基礎となったからです。
それはイエス様が言い残しておられたことの実現でした。
「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」
(使徒1:8)
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試練の時には、そこに秘められた神の目的を見出すようにしましょう。
まず
「感謝します」
と言ってみること。
その信仰の従順が次の一歩を切り開いていきます。
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