今日のみ言葉(2011年5月31日)【No.72】
「われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである。」
(使徒17:28)
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魚が最後に気づくのは水の存在だろうといわれています。自分の周りに当たり前にありながら、指摘されなければその存在すら意識できないもの。しかしそれがなければ生きていけないもの。それが魚にとっては水であり、人間にとっては神の存在です。
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あなたが今日のみ言葉を周りの人に語る時に、もし「神」という言葉に抵抗を覚える人がいらっしゃったら、「自然界の法則」という言葉に翻訳して伝えてみたらよいでしょう。
「われわれは自然界の法則のうちに生き、動き、存在しているからである。」となれば、その人の理性という入り口からすーっと入っていくことでしょう。
神=(イコール)自然界の法則ではありませんが、科学の法則を通して神の存在に出会う道も用意されています。
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17世紀の天文学者ケプラーは、師匠ティコ・ブラーエが生涯かけて残した膨大な観測データを前に、深く考えに沈んでいました。天文学者たちを悩ませていた惑星の運動について考えていたのです。ほとんどの星は北極星を中心に規則正しく回っています。しかし、火星に代表される「惑星」と言われる星々は夜空を不規則に動き、文字通り人を惑わす星でした。
「この世に神が存在し全てを支配しておられるなら、天体の運動にも法則があるはずだ」と彼は考え、全く無意味に見える数字の羅列の中にも神が定めた法則があるはずだ、と徹底的に観測データを分析しました。
そしてとうとう彼は、「距離の二乗に反比例する力によって惑星は太陽に引かれている」という発見をし、ケプラーの法則と呼ばれる3つの法則を導き出し、惑星の運動を数式で計算できるようにしたのです。
「大自然は単純で美しい法則で支配されている」、とは科学者たちの常識ですが、ケプラーこそこの世界を切り開いた最初の人です。
もちろん数学的な論理から法則が見付かることもあります。しかしその反対に、法則が直感的に認識され、それを後から数学で論理付けするという事が多くあるのです。このやり方が多くの学者たちを助けている事も事実です。
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<< 祈 り >>
「神様、惑星のように私たちを惑わす人や出来事があります。しかし、そこにも神の法則とご支配があることを信じます。あの人も神のうちに生き、動き、存在しているという神の目で見ることができるように助けて下さい。あなたの目で見る時の平安を与えて下さい。」
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今日も一日、神のうちに留まりましょう。
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