今日のみ言葉【No.1441】(2016年12月20日) 054 「総督の兵士たち」(2)

こうしてイエスを嘲弄したあげく、外套をはぎ取って元の上着を着せ、それから十字架につけるために引き出した。
(マタイ27:31)

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講演に行った先の学校で

「うちの学校には恥ずかしいほどのイジメの問題があります」

と先生が話し出されました。

それは、被害者の生徒が一番傷ついたのが、

「僕がイジメられている時、まわりにいる人が誰も助けてくれなかった」

「薄ら笑いを浮かべて見ているだけだった」

ということでした。

つまり、誰も「やめろ!」と言って飛び込んで助けようとする友達はなく、クラス全員が傍観者、通りすがりの立場を崩さなかったということです。

彼にとって、身体的暴力もさることながら、無視されたことが一番こたえたのです。

聞き取り調査でその事実を知った先生にとってもショックでした。

人の苦しみにどう反応するのか。

関わりを切ろうとする人間の現実に対して、聖書はどのような答を提示しているのでしょうか?

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人の苦しみや不幸を見て、心の中でそれをほくそ笑んでいる人間の罪があります。

兵士たちのことです。

聖書は、自分がその当事者になったとして読んでみると、深いところまでよくわかってきます。

そこで2つの質問です。

(1)イエス様はこのような屈辱を加える兵士たちをどのような思いで見つめておられたと思いますか?

(2)もしあなたがこの場所にいたら、イエス様にどのように反応なさいますか?

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(1)の問いは、自分をむち打ち、痛めつける相手である兵士に対してどう思うか、ということです。

私なら間違いなく報復・仕返しを考えることでしょう。

イエス様は天と地のすべての権威を父なる神様から委ねられていますので、人を地獄に落とすこともできるでしょう。

しかし、このような苦しみと屈辱に何の抵抗も示されないで、それを黙々と受けておられました。

(2)の問いなら、間違いなく私は傍観者として無反応を装うことでしょう。

イエス様を助けようとしたら、「お前はそいつの味方だな!」と見られ、兵士たちにむち打たれてしまうのを恐れるからです。

しかしイエス様は、自分とあの人とは何の関係もない、と言ったペテロに対して

「主は振りむいてペテロを見つめられた」
(ルカ22:61)

という眼差しを向けられた御方です。

イエス様は、すべてを赦し、ペテロの、そしてあなたの身代わりに罪の罰を受けて下さる御方だからです。

イエス・キリストは、あなたの罪の全てを赦しておられるのです。

ここに人生問題解決の根本があります。

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ゆるしの恵みを味わう一日として参りましょう。

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