今日のみ言葉【No.1394】(2016年10月24日) 038 「水腫をわずらっている人」(1)
するとそこに、水腫をわずらっている人が、みまえにいた。
(ルカ14:2)
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子供のDNA鑑定を依頼する人が増えているそうです。
年間2000件以上検査する専門家の話では、80%以上が本物の親子、ということですが、親子関係無しという結果が約2割ということは、その子は不倫の子だということになります。
旧約聖書の時代、妻が不倫をしたかどうかを試すために、「のろいの苦い水」を飲ませるという奇妙な記事が民数記第5章にあります。
罪を犯していれば、
「主はあなたのももをやせさせ、あなたの腹をふくれさせ」
(民数記5:20)
という結果が現れるというのです。
このような律法から、ルカ14章に出てくる「水腫をわずらっている人」は、神に呪われた人であると当時の人々は考えていたようです。
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イエス様が食事に招待された日は、安息日でした。
わざわざその日に招待した人はパリサイ派のかしらで、彼らはじっとイエス様の様子をうかがっていました。
実はそこに水腫をわずらっている人がいたからです。
水腫とは、むくみや浮腫とも言われ、心臓や腎臓の病気、あるいは、栄養障害が原因となって起こるもので、この人はすぐにでも癒される必要のある人でした。
しかし、水腫は旧約聖書において「神からのろわれた結果」と見なされていました(民5:21-22、詩109:18)。
ですから、律法に精通し、それを守ることにに厳格であったパリサイ人や律法学者にとって、神にのろわれた人をイエスがどうするか、しかも安息日にどうするのか、興味津々の出来事でした。
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なぜここにそんな問題の種になりそうな水腫の人がいたのでしょうか?
なぜイエス様を招いた食事の席に、しかも安息日に、神に呪われるような罪を犯したとみなされていた人が同席していたのでしょうか?
聖書にはっきりとその理由は記されていませんが、おそらく、パリサイ人らが意図的に彼をこの場に置いたのでしょう。
つまり、イエス様は悪意を持った人たちに囲まれ、試されようとしていたのです。
人生には、時としてこのような場面があります。
順調に行きかけたその先に、問題が現れるのです。
これを、悪魔が道を塞いだ、ととらえることもある意味正しいと思います。
しかし、もう一つ大きく視点を広げて、神は悪魔さえも用いられ、問題を起こすことを許されたが、それは更に大きな祝福を私たちに与えるためだ、と見ることが正しい聖書的見方です。
問題に出会った時は、神様にお願いして、自分を天高く引き上げてもらい、大きな視点からものを見ることができるようにしていただきましょう。
そこからでなければ見えない祝福が見えてきます。
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今年の夏、北海道はいくつもの台風で大きな被害を受けましたが、その陰で、国の特別天然記念物の阿寒湖のマリモは絶滅の危機から救われました。
実は釧路市が下水道の整備をした影響で、富栄養化した阿寒湖の水質は徐々に改善しました。
良いように思われますが、意外にも水草が浅瀬で分布を拡大し、これがマリモに絡み、マリモは光合成に必要な回転や移動ができず、急速に枯れ死するようになってしまいました。
ところが、台風が湖の水をかき回し、マリモの生育を妨げていた水草が大量に打ち上げられ、湖内はすっきりしたというのです(2016年10月11日付朝日新聞)。
どこかに必ず祝福が潜んでおり、それを見る目を養うことが大切だと教えられます。
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問題に出会った時、そこでひるむのが人間です。
引き上げて天高く視点を移させて下さるのは神様です。
この方に寄り添い、神様が今日与えてくださる「マリモ」を見る一日として参りましょう。
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