今日のみ言葉【No.1395】(2016年10月25日) 038 「水腫をわずらっている人」(2)

彼らは黙っていた。
(ルカ14:4)

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100万部を越えるベストセラー『人生がときめく片づけの魔法』の著者、近藤麻理恵さんは、部屋が散らかっている状態についてこう書いています。

「そもそも、部屋が自然に散らかることはありません。住んでいる自分が散らかしているのです。」

なるほど、まさしくその通りです。

そして、なぜそうなるのかの原因を

「散らかすという行為は、問題の本質から目をそらすための人間の防衛本能です」

と分析しておられます。

人にはどうしても向き合わなければならない問題がありますが、本音としてはそれに向き合いたくありません。

ですから、無意識に散らかして見ないようにして生きています。

さて、一大決心をして、もし片付けてしまったら、人生をどう生きるか、今度はいよいよその問題に向き合わなければなりません。

そのような人が片付けに強烈な抵抗を感じるのも無理はないでしょう。

隠している人は黙って何もしない。

これがルカ14章のパリサイ人の姿でした。

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パリサイ人や律法学者たちは、虎視眈々とイエス様に突き入る隙をうかがっていました。

わざわざ安息日にパリサイ派のかしらがイエス様を食事に招待したのも策略の一つだったのでしょう。

そこに水腫をわずらっている人をも呼んでいました。

イエス様が当然その人に愛の行為をなすことは彼らの想定内です。

しかし安息日は労働を休止し、神をあがめる日として制定されています。

そして、人を癒すことは医療行為ですから労働です。

そこで彼らはイエス様を次のように攻撃できます。

「今日は安息日ですよ。人を癒やしたら律法違反ではないですか?」

一方、目の前に水腫で苦しんでいる人がいるのに、自分が律法違反で罰せられるのを恐れて癒しをしないのなら、

「イエスよ、普段は愛を語るあなたなのに、それでは看板倒れなのではないか?」

と責めることができます。

「さあ、どうする?」

これはパリサイ人たちが仕掛けた罠です。

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圧倒的に不利に見える状況の中で、イエス様はこのように言われました。

「安息日に人をいやすのは、正しいことかどうか」
(ルカ14:3)

当然パリサイ人たちは自説を声高く述べてもいいはずです。

ところが、

「彼らは黙っていた。」
(ルカ14:4)

とあります。

なぜなら彼らには隠していたことがあったからです。

それを明らかにしたのがイエス様の次の言葉です。

「あなたがたのうちで、自分のむすこか牛が井戸に落ち込んだなら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか」
(ルカ14:5)

彼らはこれに対して

「返す言葉がなかった。」
(ルカ14:6)

とあります。

思い当たることがあったのです。

本音では自分たちの命や生活の方が安息日を守ることよりも大事に思っている、ということが表面化しそうになりました。

そこで彼らは自分たちの信仰と生活が分離している状態を悟られまいとして沈黙を決め込んだのです。

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行き詰まりや停滞を味わい、どうしても進めない時。

それは私たちが何かを見ないようにしている時かもしれません。

すでにそのことを全てお見通しのイエス様がおられることを覚えておきましょう。

そして、次の選択は、あなたに任されています。

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