今日のみ言葉【No.1367】(2016年 9月15日) 029 「カナンの女」(1)
しかし、イエスはひと言もお答えにならなかった。
(マタイ15:23)
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遠藤周作著『沈黙』が2016年11月にアメリカで映画化され、日本公開は2017年です。
「踏絵」に代表される徳川幕府による激しいキリシタン弾圧の下、キリスト教を「棄教」することを「転ぶ」と言いました。
尊敬する師とも仰ぐフェレイラ先生が「転んだ」という知らせの真実を確かめるため、ロドリゴ宣教師らは日本にたどり着きます。
しかし、そこで味わう苦難の中で、一切、神の御声は聞こえてきません。
神の「沈黙」をテーマにしたこの作品は、さて、どのように評価されるのでしょう。
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同じように神の沈黙に出会ったのがカナン出身の女です。
彼女の訴えは、
「主よ、ダビデの子よ、わたしをあわれんでください。娘が悪霊にとりつかれて苦しんでいます」
(マタイ15:22)
というものでした。
娘を癒やすことなど、イエス様ならすぐできるはずなのに、この女に対しては、
「しかし、イエスはひと言もお答えにならなかった。」
(マタイ15:23)
と、沈黙を守られました。
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なぜ拒否され、黙ったままだったのでしょう?
考えてみればそうなるのも当然かもしれません。
カナン人とは、イスラエルの民から見れば全くの異邦人で、歴史上、何度も戦ってきた民です。
彼らの持つ偶像礼拝に引き込まれ、その結果、イスラエルは神の裁きを受け、何度も苦い思いをしてきました。
いわば先祖の敵(かたき)なのです。
ですから、イエス様の心の中は
「なに?あれだけ先祖を苦しめたカナン人の女が、自分の娘が悪霊につかれたから助けてくれだって?何を言ってる!相手になぞするものか!」
という心境だったのでしょうか?
まさかそんなはずはありません。
彼女のイエス様への求めの中には十分な信頼が感じ取られます。
また、窮地に陥っている母親の心情を汲み取ることのできないイエス様ではありません。
しかし、その態度は普段見られないほどの冷たい態度でした。
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神の沈黙の中には、何かがあるのです。
私たちにはそれが何だかわかりません。
あまりにも小さすぎて、見えないだけなのかもしれません。
あまりにも大きすぎて、見てはいるのに全体像が見えないのかもしれません。
何のことだかわからない日々を過ごす中で、神の沈黙は私たちを変えていきます。
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神の御声が聞こえない中でも、信仰の歩みを続けて参りましょう。
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