今日のみ言葉【No.1363】(2016年 9月 1日) 027 「イエスに養われた五千人」(3)
天を仰いでそれを祝福し
(マルコ6:41)
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弟子たちは、朝から晩まで飲まず食わずでイエス様を慕ってきた群衆を解散させようとしました。
彼らはこの人たちの「飢え」という具体的問題に対して、解決不可能と判断したからです。
そこには「男五千人」いたとありますから、女性や子供を含めれば2万人はいたと考えられます。
弟子のアンデレは
「わたしたちが二百デナリものパンを買ってきて、みんなに食べさせるのですか」
(マルコ6:37)
と発言しましたが、これは正確な読みです。
当時の成人男子の1日あたりの賃金が1デナリでしたから、仮にこれを1万円とすると、200デナリは200万円となります。
なるほど、1個100円のパンが2万個買えます。ピッタリです。
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人間の理性では「不可能」という答を出すのが正解です。
しかし神は全能です。
イエス様はこのことを弟子たちに教えようとされました。
それが
「天を仰いでそれを祝福し」
(マルコ6:41)
5つのパンと2匹の魚で5千人を養う奇跡を起こされた理由の1つです。
ただし、パンだけに目を留めると、神様が見えなくなります。
パンだけを追い求めている人は、パンがある間は信仰生活を続けられますが、パンが無くなったら信仰から離れます。
また、もっとパンを与える所があれば、そちらに移ります。
イエス様はもちろんパンの問題を解決して下さる御方です。
「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」
(マタイ6:33)
しかしパンには限界があり、食べ物が保証されても人の顔に笑顔が満ちるわけではないことを次の御言葉によって語っておられます。
「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」
(マタイ4:4)
イエス様は私たちの心の飢えを満たす
「いのちのパン」
(ヨハネ6:35)
なのです。
このイエス様を、パンを食べるように心にいただく時、生きる命が満ちあふれます。
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神の御言葉で心を一杯にする一日として参りましょう。
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