今日のみ言葉【No.1328】(2016年 7月13日) 015 「やもめとそのひとり息子」(3)
そして近寄って棺に手をかけられると、かついでいる者たちが立ち止まったので、「若者よ、さあ、起きなさい」と言われた。
(ルカ7:14)
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日本でお葬式に出ると、「清めの塩」を渡されることがあります。
現代のように医療技術が進んでいない時代、伝染病で亡くなった人から感染してまた死者が増えていった等の事態があったのでしょう。
死を不吉なものとして捉えていた古代日本人が、塩の殺菌作用に目をつけ、「災い」や「穢れ」を浄化してくれるものとして、葬儀で塩を用意したものと考えられています。
旧約聖書でも同じく、
「すべて人の死体に触れる者は、七日のあいだ汚れる。」
(民数記19:11)
と、「死」は「汚れ」と認識されています。
それなのに、イエス・キリストはとんでもないことをしました。
棺に手をかけたのです。
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やもめのひとり息子が亡くなり、その葬儀の行列と出会った時、イエス様は近寄って棺に手をかけました。
すると、
「かついでいる者たちが立ち止まった」
(ルカ7:14)
とあります。
びっくりしたのでしょう。
死者は汚れているという当時の常識からすると、突拍子もないイエス様の行動です。
しかし、十字架の死によって全人類の罪と汚れを負い、復活によって死を打ち滅ぼした、命の主であるキリストは、死による影響を受けません。
そのことを示したのが棺に手をかけるという行為であり、さらに、
「若者よ、さあ、起きなさい」
(ルカ7:14)
と言って、死んでいたひとり息子をよみがえらせました。
「すると、死人が起き上がって物を言い出した。イエスは彼をその母にお渡しになった。」
(ルカ7:15)
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キリストの十字架と復活の意味が、この「やもめとそのひとり息子」の出来事にまとめられています。
人間の死は罪の罰としての結果です。
従って、この息子の行列を、墓(死)から方向転換されたイエス・キリストのみわざは、人間の汚れと罪をご自分のものとして引き受けて下さったことを表します。
それは十字架上の死で具体的なものとなりました。
また、罪の罰としての死を引き受けて下さったばかりでなく、復活によって死をも解決して下さったのです。
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現代では死者が復活するという出来事は目にしません。
しかし遠くない将来、それは実現するということが預言されています。
それまではクリスチャン・ノンクリスチャンの区別なく、誰でも肉体の死でもって人生は終了するように見えます。
しかし、キリストを信じ、罪ゆるされて永遠の命が与えられた者には、復活の朝があるのです。
そこに希望を置き、今日一日を精一杯生きていくことが、キリストと出会いながら生きていくということです。
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イエス様のいのちの行列に加えていただく一日として参りましょう。
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