今日のみ言葉【No.1267】(2016年 4月14日)

わたしはその周囲で火の城壁となり、その中で栄光となる
(ゼカリヤ2:5)

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今や当たり前になってしまった光ファイバー通信網によるインターネットですが、これは森元首相時代の政策です。

2005年にはほぼこれが達成され、日本列島全体に高速ネット通信が可能なインフラが整いました。

その利益を享受している私たちですが、空気のごとくその存在すら感ぜずに使っているのではないでしょうか。

とてもそんなことはできまい、と思うことでも、誰かがそのビジョンを描き、それが達成され、日常の当たり前のことになるのです。

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ゼカリヤ書には8つの幻(ビジョン)が記されています。

第1章の赤い馬の幻によって、エルサレムは人々が知らないうちに守られていることを示し、4つの角の幻ではイスラエルを虐げた国々が神によって裁かれることが明らかにされています。

第2章では測りなわを持っている人の幻が出てきます。

測りなわとは測量道具で、建物の建築のために使います。

ゼカリヤはこの幻を見た時、測りなわはエルサレムの周りに巡らす城壁を築くために使われるのだと思ったことでしょう。

なぜなら、中東という地域、そしてその時代、町は堅固な城壁で囲まれるのが当たり前だったからです。

そうでなければ敵の侵入を防ぐことができません。

城壁を築かずして自分たちの存在はあり得ない。

それがその当時の常識でした。

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ところが「ひとりの天の使」がこう言います。

「エルサレムはその中に、人と家畜が多くなるので、城壁のない村里のように、人の住む所となるでしょう。」
(ゼカリヤ2:4)

エルサレムは繁栄を回復し、さらに、「城壁のない村里のように」なるというのです。

その時は主御自身が見えない城壁となり、エルサレムを完全に守ることが約束されています。

「わたしはその周囲で火の城壁となり、その中で栄光となる」
(ゼカリヤ2:5)

これは出エジプト時のモーセの時代、「火の柱」として部分的に成就していました。

「主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照し、昼も夜も彼らを進み行かせられた。昼は雲の柱、夜は火の柱が、民の前から離れなかった。」
(出エジプト記13:21-22)

実際にゼカリヤの預言が完全に成就するのは、私たちがこれから将来、生きる先の未来を待たなければなりません。

これはイエス・キリストが再臨し、全世界を治めるようになり、イスラエルの敵もサタンもいない千年王国が実現した時の情景なのです。

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現在を生きる私たちは、ブロック塀を作り、容易に家の敷地に入られないようにします。

人間関係においても、きっちりと境界線を敷き、「それ以上は聞かない、言わせない」というラインを設けて自分自身を守ります。

現状はそれでいいのです。そうしなければ生きていけないからです。

しかし、やがて、その「城壁」がいらなくなる時代がやって来ます。

主イエス・キリスト御自身が

「その周囲で火の城壁となり、その中で栄光となる」

とおっしゃって下さっているからです。

そうなることを目標とし、人生設計を進めていくことが、神の御心にかなった自分自身の育て方です。

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山形県で一番高い山は、蔵王山でも吾妻山でも月山でもなく、別名「出羽富士」と呼ばれ、秋田県との県境にそびえる鳥海山です。

S姉は仲間に誘われ、今まで眺める山にしか過ぎなかった鳥海山の登山に挑戦しました。

幸い、天候は晴れ。

「皆さんの日頃の行いが良いから今日は晴れですね」

などという言葉を信じて鵜呑みにしてはいけません。

山の天候はあっという間に変わります。

強風が吹き出し、雲行きが怪しくなりだしたと思ったら、雨が降り出し、ヒョウまで落ちてきました。

危険とあきらめて、引き返す人たちもいます。

ガイドさんはもちろんそれを引き止めませんが、不思議なことに登山中止とも宣言せず、

「あそこに見える頂上まで行きたい。ここで諦めたくない」

という意志のある人たちを登らせます。

皆、口数が少なくなり、「ハァ、ハァ」という苦しい息使いだけが聞こえる時間がしばらく続きます。

やがて、ヒョウが降るのが止まりました。雨もやみました。頭の上の黒い雲は流れ去り、消え去ってしまいました。

そして暖かい太陽に照らされ、青空の下、無事山頂にたどり着きました。

あきらめないでチャレンジした人たちだけが味わえる栄光ですが、一歩間違えれば無謀で危険な行為となります。

山登りの何たるかを知る経験豊富なガイドさんに導かれているがゆえに、あきらめずに、しかも危険の中を安全に、目標である頂上に到達できたのです。

神が示す最終目標を見据え、神と共に歩むとはこのようなことではないでしょうか。

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見えない城壁となって下さる神の守りを信じ、しかし自分勝手に飛び出すことなく、神と共なる歩みをする一日として参りましょう。

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