今日のみ言葉【No.1192】(2015年12月 7日)

主なる神はこれらの骨にこう言われる、見よ、わたしはあなたがたのうちに息を入れて、あなたがたを生かす。
(エゼキエル37:5)

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私は牧師なので何度も火葬場の「お骨上げ」に立ち会います。

先日、葬儀というものに初めて参列した若い女性がその中にいらっしゃいました。

「大丈夫ですか?」

と私が聞くと、

「ええ、自分でも驚いているくらい平静です。」

とお答えになられました。

その日の朝はずいぶん不安感があったようですが、いざ亡くなられた方のお骨を目の前にし、ホラー映画のイメージとは全く違うものをお感じになったようです。

枯れた骨には何の力もない。

それが今日の聖句の背景にあるものです。

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エゼキル書第37章は、有名な枯れた骨の預言です。

バビロンに補囚され、全く望みの絶えたイスラエルの民は、枯れた骨として表現されています。

しかしその骨が、神の言葉によって生き返り、大群衆となるというのです。

「すると彼らは生き、その足で立ち、はなはだ大いなる群衆となった。」
(エゼキエル37:10)

しかしそのためには神の「息」、つまり、神の霊が必要でした。

「見よ、動く音があり、骨と骨が集まって相つらなった。わたしが見ていると、その上に筋ができ、肉が生じ、皮がこれをおおったが、息はその中になかった。」
(エゼキエル37:7-8)

現在(2015年)のイスラエルは、1948年の建国以来、

「筋ができ、肉が生じ」

というところまでは成就しました。

まだ

「皮がこれをおおった」

というところは未完成です。

皮は境界線、領土問題を表します。

預言が表す通り、やがて必ず領土問題は解決し、国境は確定します。

つまりイスラエルとパレスチナ・アラブ諸国との問題は合意に達し、中東和平は必ず達成するのです。

しかし、イスラエルは形だけは整いますが、まだ生きた者とはなっていません。

イエス・キリストを救い主として受け入れた段階で、神の息「聖霊」が宿り、そこで初めてエゼキエルの預言が完成するのです。

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「私もイスラエルと同じで、形ばっかりのクリスチャン。生きた者とはなっていないな…」

とお思いの方はいらっしゃいませんか?

大丈夫。神の息は必ず入ります。

例えば、赤ちゃんは生まれてすぐ「オギャー!」と叫んで肺呼吸を始めますが、それまで、お母さんのおなかの中で呼吸の練習を積んでいるのだそうです。

羊水を飲み込み、肺にまで取り込んで、生まれてすぐ息が吸えるように準備をしているのです。

飲んだ羊水はどうなるのでしょう?むせたりしないのでしょうか?

それらは肺や小腸で吸収 → 血液中 → 腎臓で再吸収 → 尿となって出ていきます。

とても祈れないと思っている人も同じです。

心の中のつぶやきや叫びを、神は祈りとして聞いていてくださいます。

そしてやがて時が来て、赤ちゃんが否応なしに外界に産み出されるように、私たちも時至り、確信を持って祈れる時がやって来るのです。

その日に備えて、神は今日も練習させてくださっています。

その恵みに今日も浸ってまいりましょう。

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あなたの今日の一日が神の祝福で満たされますように…。

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