今日のみ言葉【No.1160】(2015年10月21日)
主であるわたしが熱心に語ったことを知るであろう。
(エゼキエル5:13)
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一般に、兄や姉よりも弟や妹のほうが世渡りが上手だといいます。
なぜでしょう?
そうです。その通りです。
上のお兄ちゃん、お姉ちゃんが親に叱られているのを下の弟妹は見ているからなのです。
「ああするとこうなる」
「こうすると叱られる」
兄姉の失敗とそれによる親の叱責という痛い思いがあるのだ、と先に見て学んでいるので、事前にそれを避ける術を身につけます。
「2番目は調子がいい子どもだ」
とか
「親の機嫌取りがうまい」
などと言われるのはそういうことなのでしょう。
失敗を成功に変える知恵は素晴らしいものです。
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バビロン捕囚以後のイスラエルは、先祖の失敗から学び、二度と偶像礼拝をすることはありませんでしたが、悔い改める前の悲惨な有り様が今日の聖書個所です。
エゼキエル書第5章には、髪と髭を剃り落とさなければならなくなったエゼキエルが出てきます。
これらが火で焼かれ、打たれ、風に飛ばされる事を通して、神に逆らったイスラエルへの厳しい裁きが示されています。
それまで神は黙っていたのではありません。
何人もの預言者を送り、神の道に立ち返るようにと語らせ、何百年間も民の悔い改めを待っていました。
しかし、もう戻ることのできない限界に民は達し、第5章に記されている通りの悲惨な状態へとイスラエルは落ちていきました。
「こうして、わたしの憤りを彼らの上に漏らし尽した時、彼らは主であるわたしが熱心に語ったことを知るであろう。」
(エゼキエル5:13)
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神の裁きが下って初めて、
「ああ、神様は私たちに語っておられたのだ…」
と気づいても遅いのです。
旧約聖書が私たちに残されているのは、イスラエルの民が犯した過ちを私たちが先に知り、その轍(てつ)を踏まないためです。
「こうするとああなる」ということを先に学び、無用の失敗をせず、神の言葉に従って真っすぐに祝福を得るためなのです。
ですから、今、この瞬間、イスラエルの民に対してと同様、神は私たちに対して熱心に語っておられることに気づかなければなりません。
私たちに必要なのは、聞く耳です。
「聞く耳のある者は聞くがよい」
(マルコ4:9)
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「私は○月○日に自殺を決行します」
と公言した人がいました。
何度も未遂で助かっている人ですが、この次はどうなるか分かりません。
私はその人のために祈ることしか選択がありませんでしたが、過去、祈っても亡くなっていった方々の例が頭に浮かび、それほど熱心に祈ろうとは思いませんでした。
しかし、心の耳にうっすらと、かつ、しつこく響く
「祈りなさい」
という御声に聞き従い、数日間、断続的にではありましたが、祈りました。
その日がやって来ました。
その日が過ぎました。
お葬式の通知は来ません。
数日後、生きているその方と会いました。
私は笑顔を作って、
「あら、生きてるじゃないか!」
と努めて明るく接しました。
するとその人がこう言うのです。
「本当にその日、死ぬと決めていました。でも、なぜだか『もう一日長く生きてみよう』と思ったんです。」
「そしたら、その日、長く会っていなかった親友から突然連絡が来たんです。その他の人間関係もそれから急に良くなりました。今、とても調子がいいんです。」
思わず私は、
「良かったねー。実はあなたのために祈ってたんだよ。」
と言うと、
「嬉しい。ありがとう。」
と言うではありませんか。その瞬間、私は、
「ああ、この方は本当は生きたいんだ。支えてもらいたいんだ。だから、死ぬ、という強烈なメッセージを発していたのだ。」
ということが分かりました。
この方に必要なのは、継続的な関わり、ケアと励まし、そして支えとなることだと見えました。
これは祈らなければ明らかにされなかったことです。
その人は知らず知らずの内に神の御声を聞き、私は渋々神の御声を聞いていました。
聞き方は様々ですが、その御声を聞いて、どんな不十分な形であれ、その通りにやってみることが大事なのです。
その先は神のみぞ知る世界ですが、人間の想像できない祝福の世界が待っているのです。
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熱心に語っておられる神の存在に気づき、その御声に聞き従う一日として参りましょう。
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