今日のみ言葉【No.1120】(2015年 9月 1日)

主は言われる、わたしは天と地とに満ちているではないか。
(エレミヤ23:24)

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江戸時代、徳川幕府が鎖国した大きな理由の一つは、キリスト教が国内に広まることを恐れたからです。

キリスト教徒はイエス・キリストを主として信じますから、信者が大量に増え、結束すれば、幕藩体制が崩れる危険性が出てくるのではないかと幕府は考えました。

また、キリスト教の布教に乗じて、スペイン・ポルトガルの侵略の可能性がありました。

事実、南アメリカのインカ・アステカ帝国は彼らの手によって滅ぼされ、黒人奴隷貿易も行われました。

これはキリスト教の歴史の中の汚点です。

未然に防いだケースもあり、止められなかった出来事もあります。

常に神の言葉を聞き、何が正しいのかを見極め、判断する。

これは現在も続く霊の戦いです。

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エレミヤ書第23章には、責務を果たさない王と、人々を正しい道に立ち返らせようとせず、偽りの平安を語る偽預言者のことが記されています。

どちらも神の言葉を正しく捉えていないのです。

いえ、正しくとらえてしまえば、人々との軋轢を産みます。

間違った流れを正そうとすれば相当の抵抗に出会います。

そこで、神の言葉を自分の都合に合わせて解釈し、民に対して心地よく語ることによって、語る者たちは自分の立場を安泰に保ちました。

しかし、責任を果たさず、誰かがやってくれるものと先送りしていれば、やがて国は傾きます。

国は個人の集合体ですから、一人々々の心に語りかけ、まず一人の人の心が変化しなければ国全体の変化は望めません。

それを怠って、流されるままに流されていけば、行き着く先が滅びであることは明確です。

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今日の聖句の

「主は言われる、わたしは天と地とに満ちているではないか。」
(エレミヤ23:24)

とは、ロマンチックなものでも神秘的なものでもありません。

すぐそばに神がいて、神の言葉に耳を傾け、従う生き方ができるのに、それをしない人間に対する叱責が含まれています。

たとえそうであっても、人間は従いたくないものなのです。

神に従うことが一番の近道であり、最も効果的方法である、と神はこう語っておられます。

「主は仰せられる、わたしの言葉は火のようではないか。また岩を打ち砕く鎚のようではないか。」
(エレミヤ23:29)

今一度、あらためて天と地とを見てみようではありませんか。

整然と動く天体と、大自然のメカニズム。そこに秩序を重んじる神の存在が見えませんか?

聖書を通し、イエス・キリストの十字架を通して神の愛が見えないでしょうか?

「主は言われる、わたしは天と地とに満ちているではないか。」
(エレミヤ23:24)

この御言葉を今一度噛みしめたいものです。

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天を見上げ、地を見渡し、そこに満ちている神を再確認する一日とさせていただきましょう。

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