今日のみ言葉【No.1002】(2015年 3月12日)
富める者と貧しい者とは共に世におる、すべてこれを造られたのは主である。
(箴言22:2)
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昨年(2014年)の新車の売れ行きは二極化が顕著でした。
一千万円クラスの高級輸入車と、百万円クラスの軽自動車がよく売れ、その真ん中のクラスの自動車の売れ行きが伸びなかったのだそうです。
「格差社会」という言葉を実感するようなニュースです。
90%の人々が中流意識を持っていた戦後の日本は、世界的・歴史的に見ても珍しい時代だったのでしょう。
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聖書ははっきりと、人と人との間には差があると語っています。
「富める者と貧しい者とは共に世におる、すべてこれを造られたのは主である。」
(箴言22:2)
新約聖書で、イエス様はタラントのたとえ話で、人は生まれつき才能に差があるように造られていることを語っています。
不平等なのでしょうか?
その通りです。
ただし、聖書は格差社会を肯定しているのではなく、それが現実のありのままの姿であることを語っているのです。
そして、そこにいかにして神の御心を見出し、謎だらけの人生に意味づけをしていくかは私たちににかかっています。
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まず第一に、「富んでいること イコール 幸福感タップリ」ではないということです。
かつて山本七平氏が「日本人は水と安全はタダだと思っている」と書きましたが、水と安全に豊富に恵まれている日本人が毎日幸せそうな顔を見せているかというとそうでもありません。
当たり前になっているので気づかないのです。
第二に、マタイ25章のタラントのたとえ話では、最も少ない人は1タラントを与えられましたが、これでも現代に直せば数千万円の価値があります。
私たちの持ち物や生まれつきの境遇、才能には差がありますが、それでも相当の価値が人間には与えられているということです。
第三に、タラントのたとえ話で、神は5タラントを儲けた者にも2タラントを儲けた者にも同じ賞賛の言葉をかけています。
自分の持っているものを100%生かしたかどうか。
これが神の評価の基準なのです。
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ですから、まず自分の今の状況を
「すべてこれを造られたのは主である」
と受け止めていくことが真の人生のスタートです。
これはなかなかやりがいのあることです。
不平等を恨んでいる限り、そちらの方にエネルギーを費やすことができ、真面目に努力する方に向けないで済む格好の言い訳になるからです。
もちろん、社会の不平等を是正する働きは必要です。
しかし、一旦、まず、自分の今いる位置を認めなければならないのです。
そして、どうしようもないことは受け入れ、変えられるものを変えていく。
そのような人が神の御心を発見し、ひいては社会に影響力を持つ者へとなっていくのです。
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神はあなたが自分の人生をどう生きようとするのか、天から見つめておられます。
神が与えられた才能を見出し、与えられた限界の中で自分の最善を尽くし、後は神に評価をゆだねる人生を送って参りましょう。
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