今日のみ言葉【No.967】(2015年 1月29日)
われらはその中のやなぎにわれらの琴をかけた。
(詩篇137:2)
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詩篇第137篇は、イスラエルの民がバビロンに補囚されている時の嘆きの歌です。
それはバビロニアの人々から嘲笑されたことから生まれます。
「われらをとりこにした者が、われらに歌を求めたからである。われらを苦しめる者が楽しみにしようと、『われらにシオンの歌を一つうたえ』と言った。」
(詩篇137:3)
つまり、
「お前たちを守る神がいるなら、なぜ遠く離れたバビロンまで連れられてきて囚人となっているのだ。お前たちを守るというその神様の歌を歌ってみろ。」
というような嘲られ方、からかわれ方を体験したのです。
それに対して真っ向から抗議しても、結果は知れています。
彼らは無言の抵抗として、
「われらはその中のやなぎにわれらの琴をかけた。」
(詩篇137:2)
のです。
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人生、理解できない出来事に囲まれる時があります。
相手から、
「これは一体どうしたことですか?」
と聞かれる以前から、すでに自分の中で同じ質問がぐるぐる回っています。
ただただ、耐えなければならない時期があるものです。
イスラエルの民はこれらの苦難を通されることによって、目の前の現実を通して神を理解するのではなく、神の目を通して目の前の現実を理解する仕方を身につけました。
つまり、苦しみの中にも神は共におられ、そこに神の慰めが伴う、ということです。
苦難が取り去られることが神がいる証明なのではなく、苦難が続く中に神の愛があること。
すなわち、どんな時にも神が共にいらっしゃることが彼らの心に深く刻まれたのです。
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今日がその忍耐の日であるなら、今日一日だけ耐えさせて下さいと神にその力を願い求めましょう。
神様は私たちの想像も及ばない心の成長をさせて下さいます。
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