今日のみ言葉【No.909】(2014年10月 8日)
われらの救の神よ、み名の栄光のためにわれらを助け、み名のためにわれらを救い、われらの罪をおゆるしください。
(詩篇79:9)
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詩篇第79篇は実に豊富な内容が目まぐるしく移り変わります。
不当な被害、祈り、神の沈黙、認罪、回復の祈り、正当な報いへの祈り、未来の感謝、です。
この背景にはエルサレム陥落があり、外国の軍隊に滅ぼされた民の惨状が描かれています。
それに輪をかけてひどさを味わわされたのが、神からの沈黙です。
「主よ、いつまでなのですか。」
(詩篇79:5)
呼べど叫べど祈れど神の助けはなく、奇跡的救出どころか、神の手は一切差し伸べられませんでした。
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ここに至ってイスラエルの民は、この神の沈黙と都の滅亡は自分たちが神に従わなかった罪ゆえに下された神の裁きだと理解します。
「われらの先祖たちの不義をみこころにとめられず、あわれみをもって、すみやかにわれらを迎えてください。」
(詩篇79:8)
自業自得、自分たちが蒔いたものを刈り取っている結果であると悟ったのです。
しかし彼らは、
「しょうがない」
「言い訳しても何をしても無駄だ」
と自分から自分を処分するような態度に陥ることはありませんでした。
自分の罪・過ちを認め、それに対する神の処罰が正当だと認める者は、その神に回復の希望があることを発見したのです。
それが今日の聖句です。
「われらの救の神よ、み名の栄光のためにわれらを助け、み名のためにわれらを救い、われらの罪をおゆるしください。」
(詩篇79:9)
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キーワードは
「み名の栄光のために」
です。
どんなに罪深く、また、取り返しのつかない過ちをして、周囲から認められることなど期待できない状況にあったとしても、神は、
「み名の栄光のために」
私たちを助けてくださいます。
私たちの中に回復の理由も権利も何もないとしても、神の側にはそれがあるのです。
それが
「み名の栄光のために」
なのです。
心の方向転換をし、
「神様の栄光のために私を用いて下さい」
と祈る人生の先には、思いもよらない神の祝福が用意されているのです。
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新約聖書のパウロがその生きた見本です。
彼はキリスト教の迫害者でしたが、ダマスコ途上で神の光に打たれ、キリストと出会い、自分が神の御心と信じていたことが実は全く正反対だったことに気づき、衝撃を受けます。
しかし彼は即座に方向転換しました。
自分で自分を裁くことなく、神の御心に従いました。
それは、イエス・キリストによってこの自分の取り返しのつかない過ちが赦される、という福音を受け入れることでした。
神はパウロの罪を赦し、ユダヤ人以外の外国人伝道へと彼を召します。
多くの苦難を経なければなりませんでしたが、同時に、パウロの人生は神の祝福にあふれたものとなり、パウロが書いた書簡が後に新約聖書の3分の2を占めるまでの大きな働きをするようになったのです。
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神様はご自分の栄光のために、という理由で働いて下さいます。
今日も自分をあきらめることなく、用いてくださろうとする神の愛を受け入れ、今日を人生の方向転換の記念日としてまいりましょう。
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