今日のみ言葉【No.3930】(2026年 6月12日)「最後の晩餐(3)」

弟子たちは出て行ってみると、イエスが言われたとおりであったので、過越の食事の用意をした。
(ルカ22:13)

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「終活」という言葉が普通に使われる世の中になりました。

現代日本では、終活は死を待つ準備ではなく、人生の後半期をより自分らしく過ごし、「今を安心して生きるための整理」という前向きな側面が強くなっています。

自らの死を見据えた準備という点において、イエス・キリストもまた、ご自身の「最期」に向けて完全な備えをしておられました。

イエス様の場合は、翌日である金曜日の朝9時には十字架につけられるという、過酷な、そして確定した未来でした。

普通の人間であればパニックに陥ってもおかしくない状況で、イエス様は受難の苦しみから逃げることなく、状況を完全にコントロールしておられました。

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弟子のペテロとヨハネは、過越の食事の準備をせよと命じられましたが、イエス様は事前に手を打っておられました。

それが、10節から12節に詳細に書かれてあります。

食事の場所の確保のために二人がすることといえば、水がめを持った男について行って、その家の主人に、

「弟子たちと一緒に過越の食事をする座敷はどこか、と先生が言っておられます」
(ルカ22:11)

と伝えるだけでした。

その結果はどうだったのでしょう。

「弟子たちは出て行ってみると、イエスが言われたとおりであったので、過越の食事の用意をした」
(ルカ22:13)

とあります。

すべてイエス様が言われたとおりに進行したのです。

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イエス・キリストは、ユダの裏切りや祭司長たちの陰謀に翻弄され、不本意にも十字架につけられた…、のではありません。

自分が十字架の苦しみに遭い、全人類の罪の贖いのために死ぬ、という目的を全うするために、冷静に、そして周到に状況を整えておられたのです。

また、弟子たちにとって、すべてが

「イエスが言われたとおりであった」
(ルカ22:13)

というこの日の体験は、その後の大きな試練の中で、イエス様の言葉の真実さを思い出すための重要な土台となりました。

決して揺れ動くことのないキリストの事実に身を寄せる時、私たちの心の揺れは収まり、神の平安をいただくことができるのです。

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「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな」
(ヨハネ14:27)

この平安をいただく人生を送ってまいりましょう。

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