今日のみ言葉【No.3916】(2026年 5月27日)「律法の厳格から福音の恵みへ」
こうしてあなたは山で示された様式に従って幕屋を建てなければならない。
(出エジプト記26:30)
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「分けのぼる麓の道は多けれど同じ高嶺の月を見るかな」
この歌は古くから日本人の宗教観を語る際に引用され、
「みんな同じ神様を目指しているのだから、どの道でもいいじゃないか」
という寛容さが、一種の心地よさを感じさせます。
しかし、旧約聖書においてはそれとは対照的に、聖なる神と罪ある人間が出会うには、人間側の熱心さだけでなく、神の定めた厳格な手順を踏む必要がありました。
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アダムとエバがエデンの園で罪を犯して追い出されて以来、聖なる神と罪ある人間は断絶していました。
その両者が「再び出会う場所」として、荒野で放浪生活を送るイスラエルの民のために用意された組み立て式の移動神殿が「幕屋」です。
出エジプト記26章には、この「幕屋」の構造、特に天幕を覆う布や、内部を仕切る「垂幕」の仕様が極めて細かく指示されています。
「こうしてあなたは山で示された様式に従って幕屋を建てなければならない」
(出エジプト記26:30)
この幕屋の建物内部の手前には聖所があり、さらにその奥に至聖所がありました。
その至聖所には、年に1回だけ、しかも大祭司たった一人が、契約の箱の前で命懸けで神と出会うことが許されていたのです。
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では、現代の私たちも、神と出会うためには厳しい手続きが必要なのでしょうか?
いいえ、違います。
旧約の幕屋には、聖所と至聖所とを隔て分ける分厚い「垂幕」がありました。
「その垂幕の輪を鉤に掛け、その垂幕の内にあかしの箱を納めなさい。その垂幕はあなたがたのために聖所と至聖所とを隔て分けるであろう」
(出エジプト記26:33)
これは、罪ある人間は神に近づくことができないという旧約時代の「隔て」を象徴しています。
しかし、
「イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。すると見よ、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた」
(マタイ27:50-51)
とある通り、イエス・キリストが十字架上で息を引き取られた瞬間、聖所と至聖所を隔てていた、絨毯のように厚い神殿の幕が、
「上から下まで真二つに裂けた」
のです。
これによって、人間と神を遮っていた境界線はなくなりました。
新約の時代に生きる私たちは、旧約のような複雑な儀式や犠牲を払う必要が一切なくなったのです。
今は、イエス・キリストの御名によって祈るなら、私たちの祈りはいつでも、まっすぐに神へと届く恵みの時代になったのです。
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旧約を学ぶと、新約の今がいかに恵みに満ちた時代であるかが分かります。
今ある恵みを存分に受け、感謝と喜びの毎日を送ってまいりましょう。
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