今日のみ言葉【No.3904】(2026年 5月13日)「贖いの恵み」

そこでモーセはその血を取って、民に注ぎかけ、そして言った、「見よ、これは主がこれらのすべての言葉に基いて、あなたがたと結ばれる契約の血である」。
(出エジプト記24:8)

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真面目に生きてきたクリスチャンほど、急に病気になって動けなくなると、深い絶望感に支配されてしまうことがあります。

「あれほど神様のために頑張ってきたのに、神様はどこにいらっしゃるのか」

そう自問し、自分のこれまでの努力が否定されたかのように感じ、祈る気力さえ失ってしまうのです。

しかし、神様は、

「このまま行ったらこの人は倒れる」

ということをあらかじめご存じで、

「自分の力で頑張らなくていい」

と気づかせるための静かな時間を、病室という場所で備えておられたのではないでしょうか。

そのように視点を変えれば、

「もうダメだ。これが私の限界だ」

と思った場所が、実は

「神の恵みを素直に受け取るための新しいスタート地点」

として備えられていることに気づきます。

神は人間の不完全さをあらかじめ知った上で、救いの備えをしてくださっています。

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今日の聖句は、契約と血の関係について語っている箇所です。

出エジプト記24章では、民が

「わたしたちは主が仰せられたことを皆、従順に行います」
(出エジプト記24:7)

と約束しています。

しかし、実際には、人間がいくら努力しても、神の基準には到達しません。

そこで、

「モーセはその血を取って、民に注ぎかけ、そして言った、『見よ、これは主がこれらのすべての言葉に基いて、あなたがたと結ばれる契約の血である』」
(出エジプト記24:8)

と、血によって贖われる契約を完了させたのです。

旧約聖書において、契約は犠牲の血を注ぐことによって完成します。

この時代、血の中に命があると考えられ、命という高価なものが注がれることにより、足りない代価が肩代わりされるという意味づけがなされていました。

これが後のキリストが十字架で流された血による罪の贖いと結びつきます。

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たとえて言うなら、神が100円を求めているのに、人間側では50円しか用意できていないようなものです。

いくら神に対して「従順に歩みます」と約束しても、50円分の実力しかないのですから、神が求めるものには到底及びません。

しかし、旧約聖書時代は、その足りない代価は犠牲の動物の血で払われると神は定めて下さいました。

そして、その不足分を最終的に、かつ完全に支払ってくださったのが、十字架で血を流されたイエス・キリストです。

神は、人間が自力では到達できないことを見越し、あらかじめ

「キリストの十字架の血による贖い」

という救いを用意しておられたのです。

神は、私たちの限界をすでにご存じです。

ですから、頑張って自分を取り繕うのではなく、神の祝福と赦しを「図々しいくらいに」素直に受け取ってよいのです。

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キリストの贖いの恵みを確信し、それを受け取る今日としてまいりましょう。

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