今日のみ言葉【No.3829】(2026年 1月27日)「カイザルのものはカイザルに(1)」
このとき、律法学者たちや祭司長たちはイエスに手をかけようと思ったが、民衆を恐れた。いまの譬が自分たちに当てて語られたのだと、悟ったからである。そこで、彼らは機会をうかがい、義人を装うまわし者どもを送って、イエスを総督の支配と権威とに引き渡すため、その言葉じりを捕えさせようとした。
(ルカ20:19-20)
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「木を見て森を見ず」という格言があります。
目の前の一本一本の木(細部)に気を取られるあまり、森全体(全体像)がどうなっているのか見えなくなってしまう状態を指します。
つまり、細かい部分にこだわりすぎて、物事の本質や全体の流れをつかめていない様子です。
これを肯定的に捉えるなら、森を意識しながら木を見ることによって、その一本一本の意味がより深く理解できる、ということになります。
「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」という有名な言葉も、この全体像を踏まえて読むことで、より正確な解釈にたどり着くことができます。
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ルカ20章に記されている一連の出来事は、「小羊の吟味」の期間であり、
「イエス様が真の神の小羊であるかどうかを試されている場面である」
という視点を忘れなければ、解釈が脇道に逸れることはありません。
最初に試みに来たのは、律法学者や祭司長たちでした。
彼らは、天からの権威についての問いかけや、ぶどう園の悪い農夫のたとえ話を通して、イエス様から厳しく退けられました。
「このとき、律法学者たちや祭司長たちはイエスに手をかけようと思ったが、民衆を恐れた。いまの譬が自分たちに当てて語られたのだと、悟ったからである」
(ルカ20:19)
イエス様は最初の「小羊の吟味」を難なくパスされたのです。
しかし、彼らは簡単なことではあきらめません。
こうあります。
「そこで、彼らは機会をうかがい、義人を装うまわし者どもを送って、イエスを総督の支配と権威とに引き渡すため、その言葉じりを捕えさせようとした」
(ルカ20:20)
宗教的指導者たちは、ナザレのイエスを亡き者にしようと企んでいましたが、ユダヤはローマ帝国の支配下にあるので、自分たちの手で死刑を執行する権限はありません。
そのため、彼らに残された方法はただ一つ、イエスをローマ帝国に対する反逆者として告発することでした。
そこで2回目に、「義人を装うまわし者ども」として、パリサイ人の弟子とヘロデ党の者たちがつかわされて来ました。
「そのときパリサイ人たちがきて、どうかしてイエスを言葉のわなにかけようと、相談をした。そして、彼らの弟子を、ヘロデ党の者たちと共に、イエスのもとにつかわして言わせた」
(マタイ22:15-16)
彼らの目的は、総督ピラトによる有罪宣告につながるような、決定的な言葉じりを捕えることでした。
彼らは、いったいどのような策略でイエス様に近づいてきたのでしょうか。
以下、次回に続きます。
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神の小羊として来られたイエス・キリストにのみ目を注いでまいりましょう。
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