今日のみ言葉【No.3826】(2026年 1月23日)「隅のかしら石(2)」
すべてその石の上に落ちる者は打ち砕かれ、それがだれかの上に落ちかかるなら、その人はこなみじんにされるであろう」。
(ルカ20:18)
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「叱られているうちが花」と言われることがあります。
叱る側は、相手に見所があると信じ、手間暇をかけて関わっているのです。
しかし、それは同時に、
「叱られているうち=まだ恵みが残されている時」
であることを意味しています。
ルカ20章18節に語られている、「石によって打ち砕かれる」という決定的な裁きに至る前、神は何度も「僕(預言者)」を遣わし、民を戒め、立ち返る機会を与えてこられました。
それでも悔い改めに至らなかった民に対して、神の厳しい裁きがある。
それが今日の聖書箇所の語るところです。
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メシアは人々に評価されずに捨てられるが、実は最も大切なものとなるというのが「隅のかしら石」の意味するところでした。
イエス・キリストを救い主と信じる者には、この「隅のかしら石」は人生を支える大切な土台となります。
しかし、それと同時に、イエスを救い主と認めず、拒否する者にとっては、「隅のかしら石」は、その人を打ち砕く「裁きの石」となることがここで言われています。
「すべてその石の上に落ちる者は打ち砕かれ、それがだれかの上に落ちかかるなら、その人はこなみじんにされるであろう」
(ルカ20:18)
これはイスラエルの未来を預言した言葉です。
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私たちはメシア(救い主)なるイエス・キリストが、2回来られることを知っています。
これを初臨と再臨といいます。
まず、初臨の際、
「すべてその石の上に落ちる者は打ち砕かれ」
(ルカ20:18)
となるとは、イエス・キリストの教えが自分の価値観と衝突するため、キリストを拒絶する人々の有様です。
「隅のかしら石」である神の真理はびくともせず、ぶつかった本人の方が「打ち砕かれ」て傷つくことになるのです。
イスラエルの民は、紀元70年のエルサレム陥落でこの裁きの厳しさを体験しました。
そして、次の、
「それがだれかの上に落ちかかるなら、その人はこなみじんにされるであろう」
(ルカ20:18)
とは、再臨の時の有様です。
これはイスラエルだけでなく、キリストを拒絶し続けた諸国民に対して、最終的に神の裁きが下されるということです。
それは、その人が「こなみじん」になるほどの圧倒的裁きとなります。
初臨の預言が成就したのですから、再臨の際の預言もそれと同じ確かさで成就すると考えるのが自然です。
ヨハネの黙示録で預言されていることがそのまま起こるということです。
ぶどう園の農夫のたとえ話は、このような厳粛で重い真理を私たちに示しています。
「そんなことがあってはなりません」という人々の叫びは、「いや、そうなる」と語られるイエス様の言葉によって退けられ、恵みの時を過ぎた者に、神の正しい裁きが下される現実が示されているのです。
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あなたがイエス・キリストを救い主として信じているなら、ここに書いてあるような「こなみじん」にされることはありません。
そうならないように救われたのですから!
そして、裁きの約束がこれほど確かであるなら、救いの約束もまた、同じ確かさをもって必ず成就します。
「隅のかしら石」の上に人生を建てられますように…。
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