今日のみ言葉【No.3805】(2025年12月19日)「権威問答(2)」

そこで、イエスは答えて言われた、「わたしも、ひと言たずねよう。それに答えてほしい。ヨハネのバプテスマは、天からであったか、人からであったか」。
(ルカ20:3-4)

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ユダヤには、ラビ的教授法と呼ばれる教え方があります。

これは、答えを直接教えるのではなく、「問い」を重視する対話型の教育方法です。

とりわけ、

「質問に質問で返す」

という手法を用いて、生徒の能動的な思考を促し、自ら答えにたどり着くことを目指します。

今日の聖句は、まさにこのラビ的教授法をイエス様がお用いになった場面です。

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祭司長たちはイエス様にこう問いただしました。

「何の権威によってこれらの事をするのですか。そうする権威をあなたに与えたのはだれですか、わたしたちに言ってください」
(ルカ20:2)

これは、「権威」の所在を問う質問でした。

通常であれば、

「その権威は○○から与えられています」

と答えるのが一般的なやり取りでしょう。

しかし、イエス様は問いに直接答えることなく、質問に対して質問で返しました。

「わたしも、ひと言たずねよう。それに答えてほしい。ヨハネのバプテスマは、天からであったか、人からであったか」
(ルカ20:3-4)

これはラビ的教授法に基づく応答であり、決して論点をずらして逃げようとされたのではありません。

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さて、

「ヨハネのバプテスマは、天からであったか、人からであったか」
(ルカ20:4)

というイエス様の問いには、次のような意味が込められています。

「あなたたちは権威を問題にしているが、では、バプテスマのヨハネが洗礼を授けることができたのは、天、すなわち神から権威を与えられていたからではないのか。もしそうであるなら、彼は神から遣わされた預言者ということになる」

もし祭司長たちがそのように認めてしまえば、バプテスマのヨハネがイエス様を見て、

「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」
(ヨハネ1:29)

と証ししている以上、彼らもまた、イエス様を「神の小羊」なるメシアとして認めざるを得なくなります。

一方で、「人からであった」と答えた場合、民衆は納得しないでしょう。

人々はバプテスマのヨハネは預言者だと思っていたからです。

どちらの答えを選んでも、祭司長たちは不利な立場に立たされることになります。

イエス様の逆質問に対して、彼らはどう考えて自らの答えを出すのでしょう?

以下、次回に続きます。

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私たちが

「神様、どうしたらいいのでしょう?」

と問いかける時、神様は

「あなたはどうしたいと思っているのか?」

と問いかけられるときがあります。

自分なりの答えを出し、神の導きを求めてまいりましょう。

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