今日のみ言葉【No.855】(2014年 6月30日)
主よ、あなたのあわれみと、いつくしみとを思い出してください。
(詩篇25:6)
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腸は第2の脳だと言われています。
脳とは別の感情を腸は持っているのだそうです。
腸はすごい力を持っているのですね。
これを「腸脳力」(ちょうのうりょく)と表現する人もいます!
そう言われれば日本語には「腹」にまつわる感情表現があります。
悪い考えを持っている人を「腹黒い」と言い、心を開いて話すことを「腹を割って話す」と言います。
すんなり納得できると「腑に落ちる」と言いますが、この「腑(ふ)」とは五臓六腑の「腑」。つまり内臓のことです。
日本人は昔から意志や感性を腹や腑で受け止めていたようです。
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同じ用法が、旧約聖書が書かれたヘブル語、新約聖書が書かれたギリシャ語でもあります。
それが今日の聖句の「あわれみ」という言葉の語源です。
「あわれみ」はヘブル語で「レヘム」。その意味は「子宮・胎」です。
また、ギリシャ語では「スプランクナ」。その意味は「内臓」です。
神は、子宮が痛むような(ヘブル語)、はらわたがかき回されるような(ギリシャ語)
「あわれみ」
でもって人に接せられるのです。
「イエスは舟から上がって大ぜいの群衆をごらんになり、飼う者のない羊のようなその有様を深くあわれんで、いろいろと教えはじめられた。」
(マルコ6:34)
腹の底からあわれまれたイエス様の深い愛が、私たちの五臓六腑にしみわたるように分かります。
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詩篇第25篇では、この神のあわれみを切実に祈り求めています。
それは罪のゆるしのためです。
古代では、神が人の罪を思い出すと罰が下ると考えられていました。
手元にあった祝福は去り、病気や苦難という罰が下ると考えていたのです。
ですから、
「わたしの若き時の罪と、とがとを思い出さないでください。」
(詩篇25:7)
と必死に祈り求めているのです。
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新約の時代、キリストの十字架を信じるだけで罪が赦され、神の御前に出ることができる特権が与えられている私たちはなんと幸いなことでしょう。
ひたすら神のあわれみを求める必要はもうありません。
すでにあわれみの中に生かされているからです。
腹を痛めるほどに愛する神の愛。
この神の愛を感じる一日とさせていただきましょう。
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