今日のみ言葉【No.842】(2014年 6月 7日)
わたしはいま立ちあがって、彼らをその慕い求める安全な所に置こう
(詩篇12:5)
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先場所優勝した横綱白鵬が翌日の会見をキャンセルしました。
これは異例です。
マスコミは早速多くの憶測を書きましたが、真実はインターネットで誰でも見ることができる白鵬自身のブログで明らかにされました。
このように、今やマスコミは一般市民より先にニュースを報道することができなくなりました。
真実から程遠い記事が数多く書かれてきた現実に、芸能人や有名人が辟易し、本当のことを知ってもらいたいためにマスコミとは距離を取り始めたのです。
詩篇第12篇に
「人はみなその隣り人に偽りを語り、へつらいのくちびると、ふたごころとをもって語る。」
とありますが、その報いがマスコミへの取材拒否や異例の沈黙となって現れているのでしょう。
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詩篇が書かれた昔も今も、人の世の有様は変わりません。
「神を敬う人は絶え、忠信な者は人の子らのなかから消えうせました。」
(詩篇12:1)
表ではこう言い、裏では別のことを語る。
自分が知らないうちに知らないことが陰で決定されている。
まさに
「わたしたちは舌をもって勝を得よう」
(詩篇12:4)
とする人たちの天下です。
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このような状況にある中、
「主よ、お助けください。」
(詩篇12:1)
と叫ぶ詩篇の記者に対して、
「わたしはいま立ちあがって、彼らをその慕い求める安全な所に置こう」
(詩篇12:5)
と応えられるのが神です。
現実には「どこにその神が…?」と思うような状況が続くでしょうが、神に遅すぎることはありません。
「もしおそければ待っておれ。それは必ず臨む。滞りはしない。」
(ハバクク2:3)
厳冬の雪の下、春に備える「ふきのとう」の芽は、小さく、固く、神の時を待っているのです。
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神学生のK君は「神の平安」という題で説教学の卒業試験に臨もうとしていました。
しかし、神の平安を語るはずの彼が
「ちゃんと語れるだろうか…」
と、心配でいっぱいになり、平安を失っていました。
それを知った説教学の先生は、彼をある場所に連れて行きました。
時は2月。真冬の寒い中、ビルの間を流れる用水路の一角に、1ヶ所だけ陽の光が差し込む場所がありました。
雪を払っていくと、氷の部分に突き当たり、その向こうに薄黄緑色の小さな蕾のようなものが見えてきました。
「K君、あれはふきのとうの芽だよ。この真冬の寒い中、堅い氷の下に閉ざされているけど、ちゃあんと神様は春に備えてふきのとうの命を支えておられる。」
K君は心に痛く感じるものをいただいたようです。
彼の説教が力強いものになったことは想像に難くありません。
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神の守りは確かにあります。
確かな平安をいただいて、今日一日を歩んで参りましょう。
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