今日のみ言葉【No.3721】(2025年 9月 6日)「生活の処方箋(256)『者と物』」
見よ、わたしは、たなごころにあなたを彫り刻んだ。あなたの石がきは常にわが前にある。
(イザヤ49:16)
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「家庭崩壊」「家族がバラバラ」というフレーズがよく聞かれる昨今です。
なぜそのようになってきたのかを考えると、その一員として、「者」と「物」との違いが不明瞭になってきたことがあります。
家庭が、いつの間にか、「者・人」ではなく、「物」に占領されてきているのです。
創造された「者」と製造された「物」。
これは本質的に異なります。
「人」と「物」では根本から異なる存在です。
物は取り替えがききますが、人物は取り替えができません。
生まれたばかりの赤ちゃんは、社会的価値から見れば価値は低いかもしれません。
しかし、物ではなく者です。
物は盗まれたら同じ物で補充できます。
しかし、赤ちゃんは取り替えができません。
私たち一人一人はかけがえのない存在です。
一人一人の生命の尊さを、もう一度確認したいものです。
(※田中信生の『生活の処方箋』より)
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聖書はこう語ります。
「見よ、わたしは、たなごころにあなたを彫り刻んだ。あなたの石がきは常にわが前にある」
(イザヤ49:16)
「たなごころ」とは「手のひら(掌)」のことです。
神は私たちの名をご自分の手のひらに刻んでいるというのです。
もちろん、神様が私たちと同じ肉体の手を持っているわけではなく、これは私たちが神にとって常に意識され、忘れられることのない存在であるという表現です。
たとえ誰からも忘れ去られているように思えても、また、神様も私を捨てたように感じたとしても、このイザヤ書の約束は、神が私たち一人ひとりに個人的な関心と愛を抱いており、その存在が永遠に記憶されていることを力強く示しています。
聖書を読み、神を信じる者は、自分の感覚に存在の根拠を置くのではなく、この神の約束に存在の根拠を置くのです。
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今日も「神に覚えられている者」としての自分を受けとめ、その確信をもって歩んでまいりましょう。
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