今日のみ言葉【No.3702】(2025年 8月 7日)「第七の災害(3)」
亜麻と大麦は打ち倒された。大麦は穂を出し、亜麻は花が咲いていたからである。小麦とスペルタ麦はおくてであるため打ち倒されなかった。
(出エジプト記9:31-32)
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昔の学校の職員室では、教師同士の会話で、
「しょうがない、下駄(げた)を履かせるか」
という言葉が使われることがありました。
下駄を履くと、実際の身長より背が高く見えます。
生徒の点数が合格点に達しないため、追試や追加のレポートを出して勉強してもらい、点数の不足分をそれで埋め合わせしてもらうということです。
これは不正ではなく、試験時点までには間に合わなかったが、最終的には意図した理解度まで到達させるという先生方の苦肉の策です。
生徒側としては、追加の課題が罰のように感じられ、
「またやらされる」
という被害者意識を持ちがちですが、実はそこに先生方の温情があったのです。
7番目の雹の災害の中にも、神の限定的裁きと、愛の配慮が見えます。
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神は裁きの中に愛を込められます。
雹の災いは、
「ただイスラエルの人々のいたゴセンの地には、雹が降らなかった」
(出エジプト記9:26)
とあるように、エジプト人だけを標的にし、イスラエル人はその災いから除外されて守られています。
また、神はエジプトを完全に破滅に至らせるようにはしませんでした。
このように記されています。
「亜麻と大麦は打ち倒された。大麦は穂を出し、亜麻は花が咲いていたからである。小麦とスペルタ麦はおくてであるため打ち倒されなかった」
(出エジプト記9:31-32)
これは、エジプト人が生き残れる道を神が残されたことを示しています。
もしすべての作物が破壊されていたら、どうなるでしょう?
間違いなく飢饉が起こります。
そうなれば、エジプトの社会は混乱し、崩壊に向かうことでしょう。
しかし、神の目的は破壊ではありません。
「しかし、わたしがあなたをながらえさせたのは、あなたにわたしの力を見させるため、そして、わたしの名が全地に宣べ伝えられるためにほかならない」
(出エジプト記9:16)
とあるように、神の存在とその力を知らせるためです。
おくての小麦とスペルタ麦が残されたことで、エジプト人はかろうじて食料を確保することができました。
この神の「手加減」を、愛の配慮と受け取り、悔い改めに至るのか、あるいは、神の「手落ち」と見て、そこにつけ込み、自分の思い通りの行動を貫いて益を得ようとするのか。
目の付け所次第で、人生はいかようにでも変わります。
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神の裁きは、意図的かつ限定的です。
それは人間の悔い改めを神が望んでおられるからです。
裁きに見える出来事の中にも、神の愛と配慮を見出し、方向転換の道を探る一日として歩んで参りましょう。
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