今日のみ言葉【No.740】(2014年 1月18日)

主はさきにダビデと結ばれた契約のゆえに、また彼とその子孫とにながく、ともしびを与えると約束されたことによって、ダビデの家を滅ぼすことを好まれなかった。
(歴代志下21:7)

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歴代志下21章には、ヨラムの悪政とその悲惨な生涯が描かれています。

彼が王位についていた8年間に、国内での反乱、外敵の侵入、自分の大病と次々と起こる試練の中で彼は死を迎えます。

なにゆえ彼はそのような人生を40歳で終えねばならなかったのでしょう?

預言者エリヤは、ヨラムが民に偶像礼拝をおこなわせたことと、自分より優れた兄弟たちを殺したことのゆえだ、語っています。

この王の悲惨さは次の言葉によって決定的に示されています。

「ヨラムは、…、ついに死んだ。ひとりも彼を惜しむ者がなかった。」
(歴代志下21:20)

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この章の中で唯一、希望の光が見えるのは、

「主はさきにダビデと結ばれた契約のゆえに」

という個所です。

どんな悪王であっても、その人がダビデの子孫なので、ダビデと結んだ契約を神は果たされるということです。

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私たちは人が思った通りのことをしてくれないとがっかりします。

期待をかけていればいるほどショックは大きいものです。

まして、義務を果たすべきはずの人がそれをやらずにいれば腹が立ちます。

そして、その人が言った通りのことをしてくれなければ、

「もうあの人なんか信用できない!」

と関係を絶つこともあり得るでしょう。

しかし神は忍耐深く、しかも、相手が約束を果たさなくとも、それに影響を受けずに、自分が約束されたことは必ず果たされるお方です。

この神の確かさと約束の上に、私たちの人生を建て直すのです。

「もう一度やろう」という意欲と、やり続ける意志は、この神の確かさを土台として成り立つのです。

「女がその乳のみ子を忘れて、その腹の子を、あわれまないようなことがあろうか。たとい彼らが忘れるようなことがあっても、わたしは、あなたを忘れることはない。」
(イザヤ49:15)

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神の約束を思い起こす一日として参りましょう。

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