今日のみ言葉【No.3486】(2024年10月26日)「生活の処方箋(183)『めぐみとまこと』」

そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。
(ヨハネ1:14)

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学校の校という語源は手かせ足かせの「カセ」という意味で、一定の規制の中に入れるということです。

また、横文字の「スクール」とは、ギリシャ語の「スコール」が語源で、「暇、余暇」という意味です。

どちらの考え方が良いというのではなく、今、学校では、この両面を必要とされています。

「カセ」をはずすと荒れる学校となり、「カセ」をはめて規則や校則だけで縛ると、子供たちの心が生き生きと育ちません。

このような時代にあって、厳しさの中の優しさ、優しさの中の厳しさこそ、学校ばかりでなく、家庭や社会にも求められているのです。

贅沢でもあり、また、非常に難しい時代でもあります。

振り子が右から左に動くように、どちらかに大きく揺れるという歴史の流れを越えて、今、両方が同時に必要とされています。

(※田中信生の『生活の処方箋』より)

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優しさと厳しさの両方を兼ね備えている人は稀です。

ですから、プロ野球では監督とコーチでこの役割を分担します。

監督が厳しい人で、有無を言わせずグングン引っ張っていくなら、コーチは温情あふれる人として選手たちの話を聞き、慰めと励ましを与えます。

逆に監督が優しい人なら、コーチは鬼コーチとなって選手を鍛えます。

イエス・キリストはこの両方をお持ちの方です。

ヨハネはそれを

「めぐみとまこととに満ちていた」
(ヨハネ1:14)

と証言しています。

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厳しさと優しさを、どの場合にどういう風に出したら良いのか、その出し入れを場合分けして考えるのは人間的知恵です。

神の知恵は、

「めぐみとまこととに満ちていた」
(ヨハネ1:14)

に秘められています。

少ないものを上手に使って効率的に動くのではなく、最初から両方とも有り余る状態、つまり、「満ちていた」にしておくのです。

たとえて言えば、それは定食ではなく、「めぐみ」と「まこと」という甘口と辛口の両方の料理をあふれるばかりに用意してあるバイキングのようなものです。

優しさ温泉と厳しさ温泉の両方の湯が、源泉掛け流しとしてあふれるている宿があるとすれば、それがイエス・キリスト温泉です。

私たち自身がそこで暖まり、育まれていく先に、他者への対応が見えてくることでしょう。

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キリストのめぐみとまことに浸る今日として参りましょう。

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