今日のみ言葉【No.530】(2013年 3月19日)
あなたの神、主はすべての産物と、手のすべてのわざとにおいて、あなたを祝福されるから、あなたは大いに喜び楽しまなければならない。
(申命記16:15)
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私の娘は、今年、高校受験を体験しました。
彼女が友達と合格発表を見に行き、家に帰ってきて最初に言った言葉は、
「全員合格できて良かった」
というものでした。
同じ中学校から志望した人の内、一人でも落ちてしまえば、素直に喜べないということなのでしょう。
人間関係に配慮する大人性がいつの間にか育っていたのだな、と我が子ながら感心しました。
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さて、今日の聖句の
「あなたは大いに喜び楽しまなければならない。」
とは、喜びが強制されているような不思議な表現です。
たとえば今急に「笑え!」と言われても心底嬉しくて喜べるはずはありません。
しかし神がそう命じるのには理由があったのです。
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申命記16章では3つの祭りについて書かれてあります。
過越の祭り、七週の祭り、仮庵の祭りです。
イスラエルの民が死の使いを「過ぎ越して」、無事でいられたのは、小羊の血を門とかもいに塗れと言われた神の命令に従ったからです。
これは後の、キリストが十字架で流された血によって救われる、というところに結び合わされます。
すなわち、奴隷からの解放という祝福が過去に確かにあったから、そして現在も
「主はすべての産物と、手のすべてのわざとにおいて、あなたを祝福される」
から、
「大いに喜び楽しまなければならない」
のです。
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あなたは今喜んでおられますか?
こんな現状ではとてもそんな気分になれない、と首を振る方もおられるでしょう。
また、震災で復興途上にある被災地の方々や、原発事故で家族離ればなれで生活している方々の様子を知ると、自分のことではとても喜べない、と思うかもしれません。
しかし、神が毎年定期的に行えと定めたお祭りでは、気分の良し悪しや、現状や、周囲の状況一切にかかわらず、喜ばなければならないのです。
過去に与えられた解放の祝福は変わらないのですから、あえて意識的に喜び、自分を喜ばせてあげて良いのです。
このようにして私たちは、周りに起こる出来事に左右されるのではなく、心の境界線をしっかりと作るように訓練されます。
外から無制限に自分の心の敷地内に入られ、心がめちゃくちゃに荒らされたのは過去のこととなります。
境界線を定め、敷地内に勝手に入ってこないように塀を建てること。
それは今日の聖句のように、「喜ぶ」という訓練をし、それを習慣とすることで成されていきます。
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ある方が電話相談員のお仕事をしようとなさいました。
しかし、人の悩みや相談を聞くわけですから、勤務時間が終わって家に帰ってからも、「DV、パワハラ、離婚、難病…」等の問題が頭から離れないのではないかと思い、専門の先生に相談しました。
するとその先生は、家に帰るまでの間にリセットする方法を教えて下さいました。
その一つは、もちろん守秘義務を守る中で、「こんな電話がきた」と、お互いに話すことだそうです。
上司やスーパーバイザーに報告することもそれにあたるでしょう。
その場で話して、自分をケアできる環境かどうか。それが出来ない職場であり仕事なら続かないのです。
そのようにして、自分の生活でしっかりと喜びを体験し、その喜びを割り引かない生き方をしている人が、他者を支える仕事を続けることができるのです。
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積極的に喜ぶ人生を送って良いのです。今日も喜びにあふれた一日を送って参りましょう。
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