今日のみ言葉【No.2590】(2021年 7月17日)「狭い門から」
狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。
(マタイ7:13-14)
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私が初めて参考書なるものを買った時、その裏表紙に今日の聖句が書かれてありました。
それが私の初めての聖書の言葉との出会いでもありました。
その時は率直に
「これを読んで頑張らないといけないんだなあ」
と思ったことを覚えています。
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今日の聖句は大変有名な箇所ですが、使う人の都合に合わせて勝手に解釈されやすいところでもあります。
多くは、
「勝利は楽して得られるものではない。厳しい条件をクリアしてのみ得られる」
ということを主張するための根拠として取り上げられ、受験勉強や部活動で我慢を強いる時に使われるようです。
しかし、イエス様は人を頑張らせるためにこの言葉を言われたのではなく、人間の魂の行き先を決める選択について話されたのです。
当時のユダヤ人は、自分たちはアブラハムの子孫だから神の救いの中にいて、当然神の国に入れると思っていました。
これは広い門です。
なぜなら、ユダヤ人に生まれついたら、何も考えなくても、何もせずとも、そのまま天国に行けるという考え方だからです。
しかし、イエス様はそうではないとおっしゃいました。
「もしアブラハムの子であるなら、アブラハムのわざをするがよい」
(ヨハネ8:39)
アブラハムは信仰によって義とされました。
「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」
(ローマ4:3)
つまり、個人々々が神の前に出て、自分の罪を認め、しかし、その罪の身代わりとなったイエス様を信じる信仰の義によって門を通るのです。
イエス様は、ユダヤ人だから天国に行けるというのではなく、人は皆それぞれ神の前に出て、一人々々がキリストを信じる信仰による義を得なければならないと教えています。
狭い門の幅は人が一人通れるだけの狭さなのです。
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信仰は時に試され、磨かれて、確かなものとなっていきます。
ひとつのストーリーを紹介します。
その昔、按摩(あんま)さんと呼ばれる視覚障害者の方がマッサージを仕事としていました。
(現在は「按摩」という語は使われませんが、昔の話なのでそのまま使います)
ある海沿いの旅館で、温泉にも入ったし、夜だと混むだろうからと夕食前に按摩さんを頼んだお客さんがいました。
体をもんでもらい、いい気持ちになったその人は、
「いやあ、綺麗な夕日を見ながらこれじゃあ、たまらんなあ」
と喜悦の声をあげると、
「旦那さん、本当ですね。真っ赤な夕日が海に溶けるようじゃございませんか」
と言われたので
「え、按摩さん、あなた目が見えるの?」
と思わず聞き返しました。
すると彼は、
「旦那、私は目が見えませんから夕日の赤い色やその美しさも何もわかりません。私の目の前は真っ暗で何も見えませんが、今、夕日は綺麗なんでしょう?」
と言うので、
「その通りだ」
と答えると、
「私は言われたとおりのことを本当だと信じて言っているのでございますよ」
と言って、また黙々と客の体をもみ始めました。
信仰とはこのようなものです。
神の言葉の約束を真実として現実を生きることなのです。
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イエス・キリストを信じる信仰の義を確認する今日として参りましょう。
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