今日のみ言葉【No.2333】(2020年 8月 6日)「キリスト教イロハ(91)『主の祈り(4)』」

学習院幼稚園の遠足で小石川植物園を訪れた浩宮さまと美智子さま=東京都文京区 撮影日:1964年05月22日
(時事通信社)

御名があがめられますように。
(マタイ6:9)

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わが子を「ナルちゃん」と呼んで育てたお母さんがいます。

子供の名前が「なるひと」だからですが、何とそのお母さんは美智子上皇后なのです。

現在の天皇の名前は「徳仁(なるひと)」ですので、当たり前と言えば当たり前です。

しかし、公でこのように言う人はいません。

通常、「陛下(へいか)」という言葉を使います。

身分の高い方、聖なる方には直接その名前を呼ばずに間接的表現を使います。

神に関しても同じで、「御名」という語が使われます。

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今日は主の祈りの中の

「願わくは御名をあがめさせたまえ」

です。

ここは祈りの要とも言うべき重要なところです。

なぜなら、これを外したり、意味を薄めてしまうと、祈りは自分中心のものとなるからです。

そうなると、聖書の神は、自分の欲求を充足させるために使う多くの手段の内のひとつとなり、相対化されてしまいます。

大事なので、段階を追って丁寧に説明していきます。

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まず「御名(みな)」ですが、教会生活でよく使う言葉である割にその真の意味を知らずに使っています。

「御名」とは、「神」ということを直接的に言うのを避け、「そのお名前」と表現することで神を指し示す語法です。

なぜそのような回りくどいことをするのでしょうか?

神は聖なる御方だからです。

それは次の「あがめられますように」という語の意味で明らかにされます。

原語のハギアスセートーは「聖とされますように」という意味であり、その語源は「区別する」という意味です。

つまり、「あがめられますように」とは他の何ものからも「区別されますように」ということで、

「神様が他の被造物とは全く違う存在であることが明確に区別されますように」

ということなのです。

従って、

「願わくは御名をあがめさせたまえ」

という主の祈りは、

「聖なる神が、聖なる御方として認められますように」

という意味になります。

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さて、ここまで来ると、少し戸惑う方がいらっしゃるでしょう。

神が「天」という全く離れたところから「父」として身近な存在となったのに、「聖なる方」として再び離されたような感じです。

このあたりの調和に関しては次回取り上げます。

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神を聖なる方と認め、祈る今日として参りましょう。

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