今日のみ言葉【No.6】(2011年 3月26日)
「そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜っている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。」
(ローマ人への手紙5:5)
希望には2種類あります。一つは、神と和解することによって無代価で得られる希望です。もう一つは、患難を経て得られる希望です。患難は忍耐を、忍耐は錬達(練られた品性)を、錬達は希望を生み出します。
神との関係の変化で、努力する必要も無く得られる希望の方が価値が低いのではありません。一生懸命がんばって生み出された希望の方が本物だということではありません。神は順境の時も逆境の時も、どちらに人間がいたとしても希望を与える方である、ということが大事なのです。
そしてその希望は、人間の気持ちの持ち方次第で消えてしまうものではない、と今日の聖句で高らかに宣言されています。神は希望を失望に終わらせはしません。「なぜなら、…聖霊によって、神の愛が…心に注がれているから」です。
ちょうど鉢植えの植物に毎日水が注がれ、生き生きと花を咲かせているように、私たちの心に神の愛が注がれています。この「注がれている」の原語(エックセオー)は、「血が流される」という時にも使われる言葉です。つまり、キリストが十字架で流された血のように愛が注がれるというイメージです。
神は多くの犠牲を払って、私たちに希望を与えようとなさいます。自らそれを捨てることなく、明日という日に希望を持って、今日一日を生きましょう。
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