今日のみ言葉【No.1713】(2018年 2月26日)「 神の示す方向」

あなたがたは、むなしいだましごとの哲学で、人のとりこにされないように、気をつけなさい。それはキリストに従わず、世のもろもろの霊力に従う人間の言伝えに基くものにすぎない。
(コロサイ2:8)

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世には外向的な人と内向的な人がいます。

人と会うとエネルギーを吸収し、元気になるのが外向。

人と会うとエネルギーを使い、疲れるのが内向です。

内向の人にとって最高のごちそうは、自分だけの時間と居場所です。

ですから、

「ここに5時間いて外に出ないで下さい。その間この部屋には誰も来ません」

と言われたら最高に幸福です。

一方、外向の人にとってこれは耐え難い拷問となります。

キリスト教も正しい救いの道から外れると、両極端の道に進みます。

禁欲主義か放縦主義かです。

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キリストの弟子たちやパウロが伝道した初代教会時代、キリストの福音に物足りなさを感じた人たちがいました。

「信じるだけで救われるなんて…。何かもっと必要なのではないか?」

何かをやることによって手ごたえを感じ、それで救われているという感覚を得たい人たちです。

自分が苦労して釣った魚の味は格別にうまいということでしょうか。

キリスト教の初期ではグノーシス派と呼ばれる人たちが現れました。

彼らの考えは多岐に渡るのでひとつに統一することはできませんが、キリストへの信仰に対して何か他のものを加えなければならないと考えていたことは確かです。

その一つが禁欲主義です。

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自己否定や律法を守るということ、古い自分にある肉の欲を制圧するということはクリスチャン人生を送る際に伴うことです。

しかしそれをエスカレートさせて、人間のすべての欲望を禁止してしまわなければ救われない、となると異端になります。

異端に走る人たちは皆真面目で熱心です。こうと決めたら徹底的にやり抜く人たちで、手を抜くことを知りません。

そして、自分が正しいと信じて疑わないので、その方向を変えるとなると非常に厄介です。

高速道路を逆走する高齢者ドライバーの話がニュースになりますが、それと同じようなもので、周りの車の方が逆走していると感じていらっしゃるので、どこかにぶつかるまで走り続けます。

逆走は認知症の高齢者ドライバーが起こすものと思ってはいけません。

その割合はたった1割で、9割は普通のドライバーなのです。

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「むなしいだましごとの哲学で、人のとりこにされないように、気をつけなさい」
(コロサイ2:8)

これは私たちに向けられている言葉です。

逆走しやすく、アレもダメ、これもダメ、と自分にダメ出しをして正しい方向に走っていると勘違いしやすいのが私たちなのです。

正しい方向は、

「愛する者よ。あなたのたましいがいつも恵まれていると同じく、あなたがすべてのことに恵まれ、またすこやかであるようにと、わたしは祈っている」
(第3ヨハネ1:2)

と言われる神の方向であり、

「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである」
(ヨハネ10:10)

と語るイエス・キリストの方向です。

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今日も神の言葉が示す方向へ向きを合わせ、一歩々々、足を進めて参りましょう。

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