今日のみ言葉【No.1608】(2017年 9月22日)「 記念の祭」
この日はあなたがたに記念となり、あなたがたは主の祭としてこれを守り、代々、永久の定めとしてこれを守らなければならない。
(出エジプト記12:14)
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お祭りで町起こしをしているというニュースを耳にします。
老若男女、誰でも楽しく参加でき、エネルギーに満ちあふれる「祭り」は地域の活性化にうってつけなのでしょう。
ところで、旧約聖書でイスラエルに見る「祭り」には「記念」という意味が込められています。
神によって救われ解放されたという重要な出来事を忘れないために、「過越の祭」(すぎこしのまつり)が制定されました。
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過越の祭ではイスラエルの全家族が特別の食事にあずかります。
「この月の十日におのおの、その父の家ごとに小羊を取らなければならない。すなわち、一家族に小羊一頭を取らなければならない」
(出エジプト記12:3)
エジプトを脱出することになる直前、小羊の血を門とかもいに塗ったイスラエルの民の家だけは死の使いが過ぎ越し、彼らは災いから逃れることができました。
危機の中を救われたという神の恵みのわざを未来永劫、いつまでも記憶するために過越の祭が制定されました。
イスラエルの未来は、過去の神の恵みをどれほど記憶しているかにかかっていました。
祭のたびごとに、人々は奴隷であったエジプトから解放され、祝福の基となる運命を託されていることを確認したのです。
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これは旧約聖書中のイスラエルにだけ当てはまることではありません。
現在を生きる私たちも同じです。
人生において危機は2種類あります。
1つ目は発育上の危機。
人間は成長の節々で危うい場面を経験します。思春期の疾風怒濤の時代は誰でも体験するものです。
2つ目は不慮の危機。
これは1つ目と違って予期できません。
ですから、その都度、問題解決の方法を探らなければなりません。
人生とは不慮の危機の連続です。それは繰り返し繰り返し起こるものです。
ですから問題が起きた時、それをどう捉えていくかがその人の習慣となるのです。
神の御言葉を覚え、それによって慰めを得、希望を持って問題に対処していく人は、前向き肯定的習慣が身につきます。
そしてその習慣はやがてその人の良き品性を形造るのです。
「それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである」
(ローマ5:3〜4 口語訳)
「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです」
(ローマ5:3〜4 新改訳)
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あなたの「記念の祭」とは何でしょうか?
神の恵みを思い起こし、今日もその中を歩んで参りましょう。
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