今日のみ言葉【No.1547】(2017年 6月19日) 087 「イエスの母とヨハネ」(1)

しかし、マリヤはこれらの事をことごとく心に留めて、思いめぐらしていた。
(ルカ2:19)

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息子を失う母と師を失う弟子。

支えを失って倒れるばかりになっているこの二人が、逆に支える者となるという不思議な神の御業がヨハネ19章に記されています。

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イエス様の十字架のそばには、弟子ヨハネとイエスの母マリヤが立っていました。

マリヤにとって十字架にかかって苦しんでいるのは「息子イエス」です。

何もすることができず、苦しむ我が子を目の前にする母親の思いとはどんなものでしょう。

母マリヤの胸は張り裂けそうだったことに間違いはありません。

ところで、このことはすでに預言されていたことでした。

「するとシメオンは彼らを祝し、そして母マリヤに言った、『ごらんなさい、この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ちあがらせたりするために、また反対を受けるしるしとして、定められています。―― そして、あなた自身もつるぎで胸を刺し貫かれるでしょう。―― それは多くの人の心にある思いが、現れるようになるためです』 」
(ルカ2:34〜35)

マリヤは実際に胸を剣で刺された体験はしていません。

しかし、「あなた自身もつるぎで胸を刺し貫かれるでしょう」という痛切な思いを十字架の下で味わったのです。

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私たちの人生でもマリヤと同じ体験をすることがあります。

そうあって欲しくない、そんなことは起きてもらいたくない、わかってはいてもそれだけは避けたい、と思うことが、やはり言われた通りになってしまう時です。

マリヤが息子の残酷な死を前にして少しも取り乱すことなく、じっとたたずんでいられた秘密は、彼女が全てのことを理解しようとしなかった態度にあります。

理解しがたい出来事が起きた時、私たちは

「神様、なぜですか?どうしてこんなことが起きるのを許されたのですか?」

と訴えます。

しかしマリヤは自分の身に起こる理解できない不思議な出来事が起こる度毎に、

「これらの事をことごとく心に留めて、思いめぐらしていた」
(ルカ2:19)

という態度を取ります。

わからないことはわからないこととしてそのままにしておき、無理に結論は出さず、

「これらの事をことごとく心に留めて、思いめぐらしていた」
(ルカ2:19)

という作業を事あるごとに続けていくのです。

それが「あっ、このことだったのだ」とわかる瞬間につながります。

神の御心が全くわからなくとも、つるぎで胸を刺し貫かれるような心の痛みを味わう時、

「これが神の御心なのだ」

とマリヤはわかったのです。

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わからないことは放っておくのではなく、わからないままにして持ち続ける強さを身につけましょう。

心に留め、思いめぐらす。

神の御心が示されるのは今日であるかもしれません。

神の時を待つ一日として参りましょう。

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