今日のみ言葉【No.1544】(2017年 6月15日) 086 「イエスの着物を分けた兵士たち」(1)

「それを裂かないで、だれのものになるか、くじを引こう」
(ヨハネ19:24)

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「あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい」(マタイ5:40)の御言葉を読んだ時、

「え、聖書の時代にも下着泥棒がいたの?!」

と思った人はおられませんか?

現代日本人の感覚で「下着」といえば、女性ならブラジャーやショーツを、男性ならパンツやタンクトップを思い浮かべますから当然のことです。

しかし、聖書時代の下着とは肌着やインナーではなく、私たちが考える上着のようなものです。

そして聖書時代の上着とは、寒さや風から身体を守ることのできる厚い長方形のマントのようなものです。

イエス・キリストはその上着も下着も全て取り除かれ、裸の姿で十字架につけられました。

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十字架につけられる犯罪人は衣服をはがされ、精神的苦痛を課せられました。

自分の裸の姿が公衆の面前にさらされるということは大きな恥ずかしめです。

またユダヤ人にとって、人から衣服を取り去ることはその人の力や人格を奪うことを意味していました。

イエス様が上着も下着も全部はがされて裸にされたということは、侮辱され、大きな屈辱を受けたということです。

そのようなイエス様の気持ちなど全く心にもとどまらず、賭け事に興じていたのが十字架刑を執行する兵士たちの姿でした。

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当時、犯罪人の持ち物は死刑執行に当たる兵士の取り分となっていました。

以下の聖書個所から4人の兵士がいたものと考えられます。

「さて、兵卒たちはイエスを十字架につけてから、その上着をとって四つに分け、おのおの、その一つを取った」
(ヨハネ19:23)

しかし、その下着にはどこにもほころびやつぎはぎが無く、一枚布で出来ていました。

それをわざわざ4枚に裂くのはもったいないことです。ですから彼らはさいころを投げてくじ引きを始めたのです。

「また下着を手に取ってみたが、それには縫い目がなく、上の方から全部一つに織ったものであった。『それを裂かないで、だれのものになるか、くじを引こう』」
(ヨハネ19:23)

自分たちの永遠を決めることが出来るお方を前にして、何も知らずに賭事に興じる兵士たちの姿は、神の前における人間の姿をあらわしています。

人は自分がしていることの意味を知らないで過ごしています。

また、自分が将来どうなるのか知らないまま、自分がなるべく得をするような生き方を追求しています。

自分の魂の救い主であるイエス・キリストに全く関心がない彼らを、イエス様も

「あー、ダメだ。この人たちは見込みがない」

とあきらめ、無視するようにしたのでしょうか?

キリストの彼らに対する思いは次の聖句に凝縮されています。

「そのとき、イエスは言われた、『父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです』。人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った」
(ルカ23:34)

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イエス・キリストの愛は、神に無関心な私たちに変わらずに注がれていることを覚える一日として参りましょう。

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