今日のみ言葉【No.1334】(2016年 7月21日) 017 「イエスを呼び戻しに来た家族たち」(3)

そして、自分をとりかこんで、すわっている人々を見まわして、言われた、「ごらんなさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。
(マルコ3:34-35)

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「100年経っても好きでいてね」

の歌い出しで始まる『家族になろうよ』(作詞・作曲:福山雅治)。

今や結婚式の定番ソングです。

「どんなことも越えてゆける家族になろうよ」

困難を共に味わい、それを乗り越えることで家族の絆が強くなっていくことを歌う名曲です。

イエス様の家族もきっとそのような気持ちで「息子イエス」「イエス兄ちゃん」のところに呼び戻しに来たのでしょう。

しかし、イエス様が指し示されたのは「神の家族」です。

そしてその条件は、神の御心を行う、ということでした。

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「さて、イエスの母と兄弟たちとがきて、外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。」
(マルコ3:31)

これは賢明な判断です。

親子関係の問題では、往々にして両者が感情的になります。

ですから、当事者同士が直接会わずに、間に第3者を介在させて交渉した方が問題解決の方向に向かいやすいのです。

これに対して、イエス様よりも群衆のほうが敏感に反応しました。

「ときに、群衆はイエスを囲んですわっていたが、『ごらんなさい。あなたの母上と兄弟、姉妹たちが、外であなたを尋ねておられます』と言った。」
(マルコ3:32)

人々は一瞬、自分たちとイエス様との間に線を引いたのでしょう。

「この方にもプライベートな関係がある。我々はそこに立ち入るべきではない。」

彼らの心を見抜いたようにイエス様はこう尋ねられました。

「わたしの母、わたしの兄弟とは、だれのことか」
(マルコ3:33)

続くイエス様の言葉が彼らの不安を打ち消し、決して切れない絆で結ばれていることを確信させました。

「ごらんなさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」
(マルコ3:34-35)

神の御心を行う者は誰でも家族になれる、とイエス様は語られました。

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では、神のみこころを行うとはどういうことでしょうか?

それは旧約聖書の律法に記されています。

しかし罪人の私たちはそれを完璧に行うことはできません。

ですから、神は御子イエス・キリストをこの世に遣わし、彼を信じる者の罪を赦されるという恵みのわざを成就なさいました。

「わたしの父のみこころは、子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。」
(ヨハネ6:40)

神の御心とは、私たちがイエス様を信じて永遠の命をいただくことです。

そこをスタートラインとし、更に進んで神の支配に服従し、信仰を通しての交わりを持つ者は、血縁関係以上のつながりを持つことが出来るのです。

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「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。」
(ヨハネ15:16)

神の選びの中で神の家族にさせていただいている恵みに目をとめ、今日の一日の歩みを進めて参りましょう。

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